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金と銀と鉄と

 ギリシャの神ヘルメースは暇だった。なにか面白いことがないかと空を飛んでいると、川のそばで木こりが木を切っているのが見えた。
「こんなところまで人間が入ってきてるんだ」
 ヘルメースは折角の美しい森が人間によって裸にされるのを前々から忌々しく思っていた。そこで木こりを邪魔してやろうと考えたが、ただ木を切るのを妨害するだけでは面白くない。何か他の方法がないかと思案してると、名案が浮かんだ。
「よし、これで行こう」

 ヘルメースはまず鍛冶の神ヘーパイストスに頼み込んで金の斧と銀の斧を複数作ってもらった。出来上がるとそれらを持って、木こりがいた場所へ戻り、彼が既に家に帰っているのを確かめると、持ってきたすべての斧を川に投げ込んだ。

 夜が明け、木こりは再び木を切るために川のそばにやってきた。昨日と同じように斧を振り上げ、木を切り倒そうとするのをヘルメースは空から見ていた。木こりは一心不乱に斧を振っている。そこでヘルメースは力を使い、木こりが手の力をゆるめ、斧が川へ飛び込むようにした。
「あっ!」
 木こりが叫ぶ。斧は手を滑り抜け、川面へ回転しながら飛んでいった。ドボン。そんな音をさせて木こりの斧は川底へ沈んでしまった。
「た、大変だ!」
 木こりは川辺へ駆け寄るが、そこから川の底は見えない。どこに斧が沈んでいるのか、確かめようがなかった。仮に斧のありかがわかったとしても、木こりは泳ぐことが出来なかった。川は相当深い。木こりは大切な商売道具をあきらめるしかないようだった。
「どうしよう!斧はあれ一本だけだ。しかも買ったばかり。ああ、なんてこった」
 
 川辺で呆然としている木こりを見て、ヘルメースはニンマリと笑った。思った通り、木こりは慌てている。そこでヘルメースは木こりの前に姿を現した。

「何をなげいているんだい?」優しげにヘルメースがそう聞くと、木こりは恐れ入って、跪いた。
「ああ、神様。実は私が大切に使っていた商売道具の斧を、馬鹿なことにこの川に落としてしまったんです。私は泳ぐことが出来ません。かと言って代わりの斧が家にあるわけでもなく、それを新しく買う財力もないのです。明日からどうやって暮らしていけばいいのか」
 木こりは既に涙ぐんでいた。
「そうか。じゃ、僕がその斧をとってきてやろう」
 言うが早いかヘルメースは川に飛び込んだ。

 いくらも経たず、彼は木こりの前に戻ってきた。手には金の斧が握られている。
「君が失くしたのはこの金の斧かい?」
 ヘルメースは表情を崩さず木こりに聞いたが、心のなかではニヤニヤしていた。さて、この人間はなんと答えるかな?
 木こりは恐れ入って、首を振った。
「違います、違います。私の斧はそんな立派なもんじゃありません」
 その言葉を聞いて、ヘルメースは内心舌打ちをした。ちっ、こいつは小心者だな。まあ、でも次がある。
 彼はすぐにまた川に飛び込み、次に銀の斧を持ってきた。
「それじゃ、これかい?」
「いえいえ、そんな立派なもんじゃありません。ごく普通の鉄の斧です」
 木こりは再び否定した。ヘルメースは少しがっかりしたが、気を取り直し、また潜って、今度は木こりが落とした鉄の斧を持ってきた。
「それです。それが私が落とした鉄の斧です。ありがとうございます」
 木こりは礼を言い、自分の斧を受け取ろうとした。
「いや、いや、なんとも正直な男だな。その正直さに免じて、これもあげよう」
 ヘルメースは金の斧と銀の斧を男に渡し、男が何か言う前に姿を消した。
 男は当初戸惑ったが、やがて満面の笑みを浮かべた。そして木を切るのを中止し、金と銀の斧を大事に抱え、自分の村に帰っていった。

 人々は木こりが金と銀の斧を持っているのを見ると、事の顛末を根掘り葉掘り聞いた。そして彼に降って湧いた幸運をうらやんだ。村にいるもう一人の木こりは特に悔しがり、「よし、俺も行く」そう言うと自分の鉄の斧を掴み大急ぎで川に向かった。
 その木こりは川に着くと木を切ることはせず、いきなり斧を川に投げ込み、「困った、困った」と、大声で叫んだ。
「何を困っているんだい?」
 ヘルメースは木こりの前に現れた。
「斧を川に落としてしまったんです」
「よし、じゃ取ってきてあげよう」
 ヘルメースは前の時と同じように金の斧を持ってきた。
「それです。その斧です」
 前の木こりの話をよく聞いていなかったのか、この木こりは金の斧が自分のものだと主張した。
 こいつは馬鹿者だな。ヘルメースは呆れた。まあ、こういう奴もいるとは思ったが、何で成功した話を聞いているのにこの調子なんだ。人間には出来の悪いものがいるな。
 やや怒った口調で、ヘルメースは木こりに言った。
「嘘をつくな。お前が落としたのは鉄の斧だろう。お前は嘘つきだ。斧は拾ってやらん」
 そう言葉を残し、何も与えずに消えた。
「えええええええーーーっ!」
 あてが外れ、木こりは叫んだが、今となっては遅い。しばらく川辺に佇んでいたが、何も起こらない。彼も泳ぎは出来ない。木こりは泣きわめいて村に戻った。

 二番目の木こりの話に同情する者もいるにはいたが、多くはその愚かさを笑った。中でも、村一番の知恵者と自称している男が最もひどく斧を失った木こりをけなした。そして「彼は神の気持ちがわかってなかったからそういう目にあったんだ。それでも斧がなければ明日からの生活に困るだろうから、僕が何とかしよう」そう言って立ち上がった。
 知恵者の男は最初に神に会った木こりから斧を借り受けた。村で斧を持っているのは彼だけだったからだ。
「貨すのはいいけど」
 木こりは自分だけ幸運を拾った手前、断ることは出来なかったが、相手が神を軽く見ているようで不安だった。
「心配ない。僕にまかせ給え」
 知恵者は自信満々で木こりに言うと、川に向かった。

 知恵のある男は川辺につくと、木を切り出した。彼は何事もちゃんとした演出が大事なんだ、と考えていた。黙々と川辺の木を切っていたが、なれぬ斧での作業は一向にはかどらず、疲労の色が見えてきた。
「よし、ここだ」
 男はわざと手の力を抜いて、斧を振った。実際、握力は衰えており、斧はスッポ抜ける感じで川に飛んでいき、ドポンと音を立てると沈んでいった。
「しまった~っ!」
 男は川辺に走り、斧が見えないのを確かめ、大声で嘆いた。
「うわ~~っ、どうしよう」
 いささか演技過剰にも見えたが、それでもかなり困った様子がよく出ている。
 一部始終を空から見ていたヘルメースが男の前に現れた。

「何を叫んでいるんだい?」
「斧を川に落としてしまったんです」
「ほう、おまえもか。よし、取ってきてあげよう」
 ヘルメースはお約束通り金の斧を持ってきた。
「お前が落としたのはこれかい?」
 男は大げさに首を振った。
「いえいえ、違います」
「そうか」
 ヘルメースは答え、再び川に潜った。
「お前が落としたのはこれかい?」
 次に銀の斧を持ってきた。
「いえいえ、違います。私が落とした鉄の斧です」
 男はやはり大げさに首を振って答えた。
「そうか」
 また、ヘルメースは川に入っていった。次に鉄の斧を持ってくるはず。男はそう考えたが、どうしたことかなかなか神は現われなかった。しばらくしてやっと現われ、「すまん。どうも見つからない」と言った。
「えっ?」
 意外な言葉に男は絶句した。
「そういう訳なので、運がなかったとあきらめてくれ」
 そう言い残し、ヘルメースは男の前から消えた。

 男も泳ぎは出来ない。川から斧を探すなど当然無理だ。どうしようもなく、男はとぼとぼと村に帰っていった。人々は手ぶらで帰ってきた男に訳を尋ねたが、男はろくに返事をしなかった。
「あの、俺の斧は?」
 金と銀の斧をもらった木こりが恐る恐る声をかけた。
「ないよ!」
 男は怒りを込めて言った。その様子がとても激しかったため、木こりはそれ以上男に聞けなかった。

 その夜、村の多くの人が眠らずにいた。木こりに降って湧いた幸運を考えると何かたまらない気持ちが湧いてきた。起きだしたり、寝返りをうったりしていると、当の木こりの家から叫び声が聞こえてきた。
 みんながそこに行ってみると、木こりの家族が血を流して倒れていた。そばには二番目に川に行った木こりが、金と銀の斧を抱えている。
 誰かが何かを叫んだ。それからはもうめちゃくちゃだった。金と銀の斧をめぐって、凄惨な戦いが起こった。

 一夜明け、戦いに加わらなかった、女子供は多くの村人が死に絶えているのを見つけた。金と銀の斧はそこにまだ転がっていた。
 一番年長の老婆の命令で、斧は川に戻された。争いの種は封じられたが、多くの人を失った村はさびれ、やがてみんなはどこかへ去っていった。
 商売と盗賊と嘘つきの神ヘルメースは不相応な突然の富は人間を滅ぼすことをよく知っていた。彼のお陰で川辺の森は人間の手から守られ、長きに渡りその姿をとどめたという。

 めでたし、めでたし?

終わり

 
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ジャンル : 小説・文学

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ジャック・リッチーの短篇集を読んで、その読みやすさに感銘を受けた火消茶腕です。

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