奇跡
”そろそろ俺もやばいかもしれない”
彼はこころの中でそう思った。
閉じ込められて三日目。出入りできそうな部屋をくまなく探ったが、やはり水が出る場所はなかった。喉が焼けるように痛い。唾液も涙ももはや尽きていた。
”ここが俺の死に場所になるのか?”
彼の頭にふっとそんな考えがよぎった。しかし、それはあくまで瞬間のひらめきのようなものであり、彼の意思を挫くことはなかった。
彼はまた例の場所、彼が普段ここを訪れる時に使っていた壁の割れ目へ、彼がここで仮眠を取っていた間に、何者かに塞がれてしまったその割れ目のある場所に向かった。
いったい何度試してみただろう。彼はまたその蓋のように目の前に立ち塞がるコンクリートの塊のようなものを力いっぱい押してみた。やはり、びくともしない。
ほかに出口になりそうなところをくまなく探したが、そんなものはどこにもなかった。それは彼自身、だいぶ前から承知していたことだった。出入り口が1つしかないところが気にいって、ここをアジトの一つにしていたのだ。その唯一の出入り口が今、使えなくなってしまっている。
彼はケータイを持っていない。仮に持っていたとしても、彼には助けを呼べる相手は一人もいなかった。彼は都会の中で誰にも頼らず生きていた。
また、彼は誰彼かまわずに助けを呼ぶのが難しい状況にいた。彼は周りじゅうが敵だった。下手に人を呼んだらその場で殺される可能性もあった。
万策尽き、彼はその場にうずくまった。
”こんなことをしたのは奴らに違いない。ここで大声で助けを呼べば、奴らの耳には入るだろうか?その場合、奴らはどうする?俺を助けるだろうか?いやいや、それはない。それは間違ってもないだろう。
では、声を上げ、段々と小さくして、死んだと思わせたらどうだろう。奴らはあの忌々しいコンクリートをどかすかして、俺がほんとうに死んだかどうか、確かめに来ないだろうか?”
名案に思えた。ただし、本当に敵がそばで自分の生死を確認しようとしているのか、未知数だった。少なくとも、この三日間、外に敵の気配は感じられない。出口がほかにないことは、相手にも分かっているのだろう。わざわざ生死を確認する必要はない、と思っているかもしれない。
そして、もう一つ。死んだふりをして、敵を油断させた後、それらを振りきって逃げ出す体力が自分に残っているかどうかだが、確信がなかった。
結局、彼は助けを呼ぶ事はしなかった。声を上げることで体力が無駄になる。彼は覚悟を決め、何らかの変化が起きることに一縷の望みを託し、その場でただひたすらうずくまった。
”そういえば、こんな状況になった時に、奴らはよくやってたな”
彼は敵の奇妙な風習を思い出した。
”神とか言う奴に頼むんだったか?”
彼に宗教心はなく、そのため、敵が困ったときや、危機に貧した時、やたら神の名前を唱えるのを不思議な気持ちで見ていた。
しかし、ことここに来て、彼にも不思議な感情が湧いてきた。
”あんなに大勢の奴らが、やるんだ。本当に何か助けがあるのかもしれん。駄目でも、俺に損はない。ここで、俺は終わりかもしれないのだから、あらゆることをやってみる価値はあるだろう”
彼は納得し、こころの中でつぶやいた。
”神様とやら、どうかお願いだ。俺をここから出してくれないか?別に連れ出してくれなくていい。あの入り口をもう一度使えるようにしてくれればいいんだ。でなけりゃ、ほかの場所に出口をこさえてくれてもいいんだが、どうだい?やってくれるかい?”
しばらく、彼は待ってみたが、何事も起こる気配はなかった。
”まっ、そんなもんだろう。俺は奴らの敵だしな”
特に落胆したふうもなく、彼がふっと上を見ると、突然、空が強烈に光るのが彼のいる場所でも見て取れた。
現在は夕暮れ時で、薄暗かったはずが、真昼よりも明るくなり、それが数秒続いた。やがて光はゆっくりと弱まり、元に戻っていった。
”これで終わりか?これでは状況は何も変わらん”
彼はやや落胆して、再びそこにうずくまった。もはや何もやる気が起きなかった。
しかし、その数分後、ものすごい音とともに、衝撃波が彼のいる建物をゆらした。方々で、物が破壊される音が響く。彼自身も数センチ、身体が押されるのを感じた。
粉塵が舞う中、彼はまわりを見た。ほうぼうに穴が開いている。出口だ。
彼はよろよろと這い出し、三日ぶりの外の空気をすった。
”これが神の力か。たいしたもんだ”
彼は素直に驚いていた。
”しかし、すこし大げさ過ぎないか?”
外ではそこら中の建物が壊れていた。
いかなる偶然か、この地に隕石が飛来し、空中で分裂し、その衝撃波で一帯の建物が破損したのだ。彼が閉じ込められていたビルもその被害に遭い、彼は脱出することが出来たのである。
”まずは水だ。その後は食い物。ああ、これは俺が自分でやる。神様には頼まんよ”
彼は空をを見上げ、つぶやいた。そして付近の建物のガラスやドアがことごとく壊れている様子を見ながら、低く、「にゃー」と鳴くと、夕暮れの街に消えていった。
終わり
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
この記事で ブログ村 文藝逡巡社 第3回 茶川賞トーナメント 9位でした。投票ありがとうございました。
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