神はサイコロを振る(オチ付け足し版)
神はサイコロを振らない
男は固唾を飲んで神官の動きを見守っていた。祭壇の聖なる炎を小枝に移し、その火を使い運命のろうそくに灯をともす。ろうそくの炎が安定したのを見て、燭台を持ち上げ、そばに張り渡されたロープにその炎を近づけていく。
このロープが焼き切れると床板が落ち、その上に乗っている宣託のサイコロが階段を転がり落ちる。そして出た目が男の今後を決定するのだ。
「七よ出るな、七よ出るな!」
男はこころの中で唱え続けた。
この星の宗教では、五は神聖な数字だった。故に、正五角形でつくられる正十二面体のサイコロが、神の意志を受け取る重要な道具となった。中でも今転がり落ちようとしている宣託のサイコロは最も重要視されており、最も神聖なものとみなされていた。その大きさは人の頭ほどもあり、中は空洞だが、表面は純銀に金メッキが施されている。各面には一個から十二個まで、大粒の宝石が嵌めこまれており、天を向いた面にある宝石の数が、神の意志を表すとされていた。
「七出るな、七出るな!」
男は両手を握りしめ、必死に唱えた。
男は妻殺しの嫌疑をかけられていた。男の妻は崖から転落したと思われる状態で見つかった。岩に頭をぶつけたらしく、ほぼ即死したと見られた。遺書は見当たらなかったが、自殺とも、事故とも、そして他殺とも思える状態だった。確たる証拠はどこにもなかった。
男には愛人がおり、財産は妻が握っていた。男のアリバイはその愛人しか証明できなかった。検察が疑ったのは当然の成り行きだった。
裁判となり、十二人の裁判員の内、七番の者が有罪を主張した。計画殺人、悪質故に極刑と。
この星では満場一致にならない場合、神の宣託を求める。そして、その結果には誰も逆らうことは出来なかった。
男の場合、宣託のサイコロが七以外の目を出したなら、無罪放免となる。他の番号の裁判員は男は無罪と考えていたからだ。しかし、七が出たら、男は死刑。そう決まっていた。
ガコンっと音がし、宣託のサイコロを載せた床が開いた。大きな音を立て、十二段ある階段を正十二面体の金属が転がり落ちてくる。その重さゆえに長く動き続けることはなく、ほどなくして止まった。
男は離れたところからその様子を見せられていた。男から見えるサイコロの側面に、七の面はなかった。
「まさか!」
男の体から血の気が引いていく。
神官が歩み寄り、神の御心を確かめる。
「七!」
神官が叫び、同時に天を向いていた面を転がして皆に確かめさせた。
確かに、白い宝石が七個、Hの形に並んでいた。
男はもはや立っていることが出来ず、膝から崩れ落ちた。両脇に控えていた係の男達がすぐに男の腕を取り、立ち上がらせる。
「よって、神の定めるところにより、被告を極刑に処する」
神官が彼を見つめ宣言する。男が何か言おうとする間もなく、神官は踵を返し、宣託のサイコロを抱え上げ、ゆっくりとその場を退場していった。
神の審議は終わった。男もまた係の者達に抱えられながら退場した。
「どうだ、見えたか?」
神官が付き人に尋ねた。
「被告の妻と思われる女が崖を落ちていく姿が見えましたが、それだけでした」
神妙に付き人が答える。
「ふむ、まだ修行が足りない様だな」
不満気に神官が言う。
「師には何がお見えになりましたか?」
付き人がたずねた。
「二人は崖のそばにいた。妻が足を滑らし、落ちそうになり、彼はそれを助けようと手を伸ばした。しかし、身体が動かず、手を出すのが遅れた。妻は崖に突き出た岩にしがみつく。一瞬、ためらった夫をののしりながら、助けを乞うた。いや、命令したというところか。彼は戸惑った。それでも、最終的に助けの手を伸ばそうとしたが、その時すでに遅く、妻は力尽き落ちた」
「そうだったのですか」
「その後、彼は愛人にアリバイの証言を頼んだ。このままでは自分がまずいことになると思ったのだろう」
「それで、断罪の目を出されたのですね」
付き人が言った。
「いいや、それは違う。いくら私がサイコロの置き方と、ロープを焼ききる位置、そして階段に敷いた絨毯の凹凸によって思った目が出せるとしても、今回の件では私も事の善悪は決められなかった。そこで、どの目が出るか私にもわからないやり方、それを行った」
「えっ、では!」
「七が出たのはまったくの偶然、言ってみれば神の意志だ」
やはり奇跡はあるのだ。深い感銘を受け、付き人が師に問うた。
「彼はこの結果を受け入れたのでしょうか?」
「サイコロの結果を知った後、彼は深い絶望に駆られたようだが、心の底に安堵もかいま見られた。神のなさることは常に正しい」
事の次第を聞いた付き人は、偉大なる神の大いなる御業に深い祈りを捧げるのだった。
十数年後、おのれの死期を悟った神官が最後の宣託の義を執り行っていた。彼の最後の宣託の儀にかけられるのは彼自身だった。彼が神官となってから務めてきた種々の行いに罪はなかったのか、神に問うのである。
それははるか昔から行われていたことであり、今まで罪を問われた者達と同様に、公共の場で行われる。
歴代の神官はその儀に当たり、全て聖なる数字、五の目を出していた。彼らにとって、宣託のサイコロに思った目を出させることなど、たやすいことであり、事情を知る者から見れば欺瞞に満ちたものであったが、民衆はそれを信じていた。
祭壇の聖なる炎を小枝に移し、その火を使い運命のろうそくに灯をともす。ろうそくの炎が安定したのを見て、燭台を持ち上げ、そばに張り渡されたロープにその炎を近づけた。
その時、神官の脳裏に急に疑念が浮かんだ。
”果たして、私は宣託のサイコロを五の目が出る位置に置いただろうか?”老いは神官の明晰だった頭脳を蝕んでいた。”絨毯は予定通りの敷き方をしたのか?”
燭台を持つ手が止まる。
言い知れぬ恐怖が彼を襲った。ここでもし五の目が出なければ、自分の今までの業績はどうなる?この儀式の権威は?そして、この儀式により裁かれた多くの民の感情は?
途端、彼の身体に異変が起きた。激しい胸の痛みで身体がこわばり、その場にうずくまるようにして倒れた。
「師よ!大丈夫ですか?」
次の神官となることが決まっている彼の付き人が駆け寄ってきた。
しかし、すでにロウソクの炎はロープに移っていた。ガコンっと音がし、宣託のサイコロを載せた床が開いた。大きな音を立て、十二段ある階段を正十二面体の金属が転がり落ちてくる。もはややり直しはきかない。
程なくしてサイコロの動きは止まった。神の意志を示す数字は決定した。
「サイコロを」
神官が苦しげな息のもと、付き人に代わりを頼んだ。
付き人がサイコロに近づく。
「五です!」
天に向かう目を確かめ、付き人が告げた。その声色に不信を抱き、神官は付き人を見た。しかし、すでに神官の能力を持つ付き人から、心を読むのは不可能だった。
「面を、面をこちらに」
天を向いた面が確認できるよう促したが、神官はすでに視力を失っていた。何もかもがもはやぼやけている。
”事の真偽を確かめさせないのは、神の罰なのか、それとも慈悲か?”薄れていく意識の中、神官は思った。
「神のなさることは常に正しい」
最後の力を振り絞り、独白した後に神官はこの世を去った。
すべてを見届けた付き人は、一つため息を付き、偉大なる神の大いなる御業に深い祈りを捧げるのだった。
終わり
男は固唾を飲んで神官の動きを見守っていた。祭壇の聖なる炎を小枝に移し、その火を使い運命のろうそくに灯をともす。ろうそくの炎が安定したのを見て、燭台を持ち上げ、そばに張り渡されたロープにその炎を近づけていく。
このロープが焼き切れると床板が落ち、その上に乗っている宣託のサイコロが階段を転がり落ちる。そして出た目が男の今後を決定するのだ。
「七よ出るな、七よ出るな!」
男はこころの中で唱え続けた。
この星の宗教では、五は神聖な数字だった。故に、正五角形でつくられる正十二面体のサイコロが、神の意志を受け取る重要な道具となった。中でも今転がり落ちようとしている宣託のサイコロは最も重要視されており、最も神聖なものとみなされていた。その大きさは人の頭ほどもあり、中は空洞だが、表面は純銀に金メッキが施されている。各面には一個から十二個まで、大粒の宝石が嵌めこまれており、天を向いた面にある宝石の数が、神の意志を表すとされていた。
「七出るな、七出るな!」
男は両手を握りしめ、必死に唱えた。
男は妻殺しの嫌疑をかけられていた。男の妻は崖から転落したと思われる状態で見つかった。岩に頭をぶつけたらしく、ほぼ即死したと見られた。遺書は見当たらなかったが、自殺とも、事故とも、そして他殺とも思える状態だった。確たる証拠はどこにもなかった。
男には愛人がおり、財産は妻が握っていた。男のアリバイはその愛人しか証明できなかった。検察が疑ったのは当然の成り行きだった。
裁判となり、十二人の裁判員の内、七番の者が有罪を主張した。計画殺人、悪質故に極刑と。
この星では満場一致にならない場合、神の宣託を求める。そして、その結果には誰も逆らうことは出来なかった。
男の場合、宣託のサイコロが七以外の目を出したなら、無罪放免となる。他の番号の裁判員は男は無罪と考えていたからだ。しかし、七が出たら、男は死刑。そう決まっていた。
ガコンっと音がし、宣託のサイコロを載せた床が開いた。大きな音を立て、十二段ある階段を正十二面体の金属が転がり落ちてくる。その重さゆえに長く動き続けることはなく、ほどなくして止まった。
男は離れたところからその様子を見せられていた。男から見えるサイコロの側面に、七の面はなかった。
「まさか!」
男の体から血の気が引いていく。
神官が歩み寄り、神の御心を確かめる。
「七!」
神官が叫び、同時に天を向いていた面を転がして皆に確かめさせた。
確かに、白い宝石が七個、Hの形に並んでいた。
男はもはや立っていることが出来ず、膝から崩れ落ちた。両脇に控えていた係の男達がすぐに男の腕を取り、立ち上がらせる。
「よって、神の定めるところにより、被告を極刑に処する」
神官が彼を見つめ宣言する。男が何か言おうとする間もなく、神官は踵を返し、宣託のサイコロを抱え上げ、ゆっくりとその場を退場していった。
神の審議は終わった。男もまた係の者達に抱えられながら退場した。
「どうだ、見えたか?」
神官が付き人に尋ねた。
「被告の妻と思われる女が崖を落ちていく姿が見えましたが、それだけでした」
神妙に付き人が答える。
「ふむ、まだ修行が足りない様だな」
不満気に神官が言う。
「師には何がお見えになりましたか?」
付き人がたずねた。
「二人は崖のそばにいた。妻が足を滑らし、落ちそうになり、彼はそれを助けようと手を伸ばした。しかし、身体が動かず、手を出すのが遅れた。妻は崖に突き出た岩にしがみつく。一瞬、ためらった夫をののしりながら、助けを乞うた。いや、命令したというところか。彼は戸惑った。それでも、最終的に助けの手を伸ばそうとしたが、その時すでに遅く、妻は力尽き落ちた」
「そうだったのですか」
「その後、彼は愛人にアリバイの証言を頼んだ。このままでは自分がまずいことになると思ったのだろう」
「それで、断罪の目を出されたのですね」
付き人が言った。
「いいや、それは違う。いくら私がサイコロの置き方と、ロープを焼ききる位置、そして階段に敷いた絨毯の凹凸によって思った目が出せるとしても、今回の件では私も事の善悪は決められなかった。そこで、どの目が出るか私にもわからないやり方、それを行った」
「えっ、では!」
「七が出たのはまったくの偶然、言ってみれば神の意志だ」
やはり奇跡はあるのだ。深い感銘を受け、付き人が師に問うた。
「彼はこの結果を受け入れたのでしょうか?」
「サイコロの結果を知った後、彼は深い絶望に駆られたようだが、心の底に安堵もかいま見られた。神のなさることは常に正しい」
事の次第を聞いた付き人は、偉大なる神の大いなる御業に深い祈りを捧げるのだった。
十数年後、おのれの死期を悟った神官が最後の宣託の義を執り行っていた。彼の最後の宣託の儀にかけられるのは彼自身だった。彼が神官となってから務めてきた種々の行いに罪はなかったのか、神に問うのである。
それははるか昔から行われていたことであり、今まで罪を問われた者達と同様に、公共の場で行われる。
歴代の神官はその儀に当たり、全て聖なる数字、五の目を出していた。彼らにとって、宣託のサイコロに思った目を出させることなど、たやすいことであり、事情を知る者から見れば欺瞞に満ちたものであったが、民衆はそれを信じていた。
祭壇の聖なる炎を小枝に移し、その火を使い運命のろうそくに灯をともす。ろうそくの炎が安定したのを見て、燭台を持ち上げ、そばに張り渡されたロープにその炎を近づけた。
その時、神官の脳裏に急に疑念が浮かんだ。
”果たして、私は宣託のサイコロを五の目が出る位置に置いただろうか?”老いは神官の明晰だった頭脳を蝕んでいた。”絨毯は予定通りの敷き方をしたのか?”
燭台を持つ手が止まる。
言い知れぬ恐怖が彼を襲った。ここでもし五の目が出なければ、自分の今までの業績はどうなる?この儀式の権威は?そして、この儀式により裁かれた多くの民の感情は?
途端、彼の身体に異変が起きた。激しい胸の痛みで身体がこわばり、その場にうずくまるようにして倒れた。
「師よ!大丈夫ですか?」
次の神官となることが決まっている彼の付き人が駆け寄ってきた。
しかし、すでにロウソクの炎はロープに移っていた。ガコンっと音がし、宣託のサイコロを載せた床が開いた。大きな音を立て、十二段ある階段を正十二面体の金属が転がり落ちてくる。もはややり直しはきかない。
程なくしてサイコロの動きは止まった。神の意志を示す数字は決定した。
「サイコロを」
神官が苦しげな息のもと、付き人に代わりを頼んだ。
付き人がサイコロに近づく。
「五です!」
天に向かう目を確かめ、付き人が告げた。その声色に不信を抱き、神官は付き人を見た。しかし、すでに神官の能力を持つ付き人から、心を読むのは不可能だった。
「面を、面をこちらに」
天を向いた面が確認できるよう促したが、神官はすでに視力を失っていた。何もかもがもはやぼやけている。
”事の真偽を確かめさせないのは、神の罰なのか、それとも慈悲か?”薄れていく意識の中、神官は思った。
「神のなさることは常に正しい」
最後の力を振り絞り、独白した後に神官はこの世を去った。
すべてを見届けた付き人は、一つため息を付き、偉大なる神の大いなる御業に深い祈りを捧げるのだった。
終わり
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