死後ノート
「ミズエ叔母さんは、あの、私の母が、その……、父を裏切って他の男の人と付き合っていたの知ってましたか?」
首をうなだれたまましゃべろうとしなかった姪が、意を決したように顔を上げた後、私に言った。
あまりにも予想外の言葉に私はすぐに言葉が出なかった。
「はあ?何、突然?姉さんが?どうして?」と、言ったところで気付いた。「あなた、読んだの?あのノート」
半年前、姉が死んだ。病死だった。
二年ほど入退院を繰り返した末のことで、本人も周りも覚悟はできていたはずだった。そのはずだったのだが、姪の落ち込み様はひどく、葬儀から半年以上過ぎた先月、やっと遺品の整理に取り掛かり始めた。
姉は若い時に夫を亡くしており、子供は姪一人。そして私たちの両親も私たちが幼い内にこの世を去っていて、肉親は私しかいなかった。そこで姪と二人で、形見分けも兼ねて姉の持ち物を色々引っ張り出していたのだが、先日、押し入れの奥で、紙袋に入っていたノート数冊を見つけたのだ。
表紙には日記と書いてあり、それを見た途端、生前病院のベッドで私と姪を前にして姉が言ったことを思い出した。
自分の書いたノートが押し入れにあるから、見ずに処分してほしい、と。
姪も思い出したらしく、「母が言っていたノートってこれのことなんでしょうね」と、紙袋を見ながら言った。そして「どうしましょう?」と困惑した顔を私に向けたのだ。
生前、姉は文筆業をしていて、少しは名の通った人だった。なので、その姉の日記だから、興味を持つ人がいるかもしれないとは思う、のだが。
「そうね、ひょっとして価値があるのかも知れないけど、故人の願いなんだから燃えるゴミに出すのが一番なんじゃない」
私はそう提案した。
「そうですね。母の希望ですものね」と、姪はそのノートを紙袋ごと地域指定のごみ袋に突っ込んだはずだったのだ。しかし。
「はい。悪いとは思ったんです。けれど母がどんなことを考えていたのか、知りたい気持ちがどんどん強くなって、あの日ごみには出さず読んでしまいました」
姪は気まずい笑いを浮かべ白状した。
「その日記に姉さんが誰か男の人と付き合っていたことが書いてあった訳なのね」
「はい、そうなんです」姪はうなずいた。「日付はとびとびでしたけれど、私が生まれた頃から始まっていて、そこに私が父の子なのか、隠れて付き合っていたその人の子なのか自分でもわからない、そんな風に書かれていたんです」
はあ?まさかそんなこと……。姉さん、なぜ?
言葉が出ずに押し黙っていると姪が言った。
「あの、私の父親が本当は誰なのかとか、確かに少しは興味がありますけど、今となってはどうでもいいんです。ただ、母に本当にそんな男性がいたのか知りたかっただけで」
「そう」
私は言った。
「もし、本当に姉さんがそんな人だったとしたら、あなたは軽蔑する?許せない?」
「いいえ。そんなことありません」
姪は私の問いにはっきりと答えた。
「正直に言うと、この日記を読んで、ほっとしました」
「ほっとした?というと?」
私は聞いた。
「私、知っての通り、母にとても迷惑をかけました」
姪が言った。
確かに。
私は心の中でうなづいた。父親を早く亡くしたせいなのか、姪は思春期に入ると荒れた生活を送り、高校で何度か中絶をし、最終的に既婚男性の子を生んで、相手の配偶者から慰謝料を請求され、それを姉さんが肩代わりした。相手の男は結局離婚して姪と一緒になろうとはせず、養育費も満足に払わずで、高校中退の姪ではろくな稼ぎもできなくて、姪の子の養育費はほとんど姉さんが出していた。
「母は私を叱りはしました。けれど見捨てることはなかった。早くに夫を亡くし、女一人で幼い私を頑張って育ててくれた。それなのに私は大人になっても母に苦労のかけ通しで、とても後ろめたかったんです」
「まあ、分かるわね」
「それで、母が私のこと本当はどう思っていたのか、それが知りたくて日記を読んでみたんです。そしたら、母は私がまともな結婚ができなかったのは自分の血のせいだろうって。駄目な私のこと、決して嫌ってはいなかった。むしろ自分のせいだと思っていて。それで……」
後は涙ぐんで言葉にならなかった。
姉さん、そういう事?!考えてみれば、姉は聡明な人だった。
姉は突然病状が悪化してこの世を去った訳ではない。自分の体のことはよく把握していた。だから、本当に誰にも見せる気がないものを書いていたなら、自分で前もって始末していたはずだ。それを捨てもせずに押し入れの奥という比較的見つけやすいところに隠して、あまつさえ私たちにノートは見るな、と言い残した。つまり日記は見られてもいい、むしろ私たちに見て欲しかったのではないだろうか。
多分そうなのだ。それで間違いないはず。日記を姪が読むことで、姪が罪悪感を抱え込まないようにと、書いたのだ。
絶対にそうに違いない。なぜなら日記に明らかな嘘を書いている。秘密にしているが姪は本当は私の娘。私がまだほんの子供のころ、暴漢に襲われ私が生んだ子だ。
出生してすぐ、姉の子として娘は育てられた。私は長らく精神を病んで、姪とこんなふうに普通に話ができるようになったのは、実は最近のこと。
姉はそのことを姪に打ち開けるつもりは決してなかったようだ。
では、あのことはどうなのだろう。
姪に対し虐待をするようになった義理の兄はある日突然亡くなった。それで姉は保険金と母と子の平和な生活を手に入れることができた。
「あなた、まだ日記は持ってる?」
涙をぬぐっている姪に私は聞いた。
「もし、持っているなら私にも見せてくれないかしら」
「ええ、もちろんです」
姪は穏やかに笑うと頷いた。
終わり
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