選べるのはふたつだけ
「大体さー、品質、価格、アクセスという三つの中で、選べるのはふたつだけって決まっているもんなんだ。それを一般人はわかってないんだよ」
酒場で知り合った男が、臭い息を吐きながら、私に愚痴った。
「何それ?どういうこと?」
やや、鬱陶しいと感じながらも、ちょっと興味も湧いたので、私は尋ねた。
「ん~、それはね」
しばし考えをまとめようと、空中を見た後、私の方を向いて言った。
「こういうたとえ話なら分かりやすいかな。ここに旨くてしかも安いラーメン屋があったとする。すると店はどうなると思う?」
「それはその店は繁盛するんじゃない。うまくて安いんだもの、言う事無しでしょう」
私は答えた。
「そう多分繁盛するよね。きっと、いつもその店は客でいっぱいになるよね。すると、どうだろう。今日、そのラーメンを食べたいと思って、店に行ったとして、すぐに食べられるかな?」
「店の広さにもよるだろうけど、混んでて、すぐには座れないかもしれないね」
「だろう」
男は言った。
「品質、つまり美味しくて、価格、安いなら、アクセス、つまり入ったらすぐに食べられる、という利便性は我慢しなければいけない。高品質で低価格なら、アクセスのよさはあきらめたほうがいい。選べるのはふたつだけなんだ」
「あー、そういうこと!」
私は頷いた。
「もし、とても美味しくて、しかも行ったらすぐに席に座れるような店なら、そこのラーメンは多分とても高いんだ。頻繁には行けない値段になってる。 品質とアクセスを取るなら、低価格というわけにはいかない」
「すると安くてすぐに席に座れるようなラーメン屋のラーメンは……」
私は言った。
「まあ大して美味しくないだろうね。価格とアクセスをとったんだ。品質は我慢しろ、ということだ」
男が声高に主張した。
なるほどと思える理屈だった。
確かに世の中はそのようにできている気がする。けれど私は目の前で喋っているこいつの職業を知っているので、いまいち納得がいかない。眼の前で理屈をこねてる男は、テレビ関係者なのだ。
確かに、民法の放送は只だし、テレビはスイッチ押せばいいだけで、見る手間は殆どないが……。
という経験をして、私自身も思い当たった。
私はブログで小説を書いているけど、それは当然無料で見られる。アクセスも別に難しいことはない。回線が混雑してしまうなどということがあるはずはない。
ということであとはわかるよね。
これを読んで面白くない、と思うのはいたって普通のことなんだよ。無駄に時間を過ごしたなどと、怒らないでほしい。
選べるのは二つだけ。いい理論だ。
終わり
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