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三年寝太郎




「パパ、退院おめでとう。はい、これ」

 今は四つになるランが私に何やら紙を渡してきた。
「ありがとう。何かな?」
受け取って見ると、そこには人の顔らしきものがクレヨンで描かれていた。

「お父さんの顔だそうよ。上手く書けてるでしょう」
妻が私に言った。
 私はもう一度渡された絵をよく見た。確かに、男の顔のようだ。ただし、両方の目は直線で描かれている。どうやら私が眠っていた時の顔のようだ。

「それにしても、本当に治ってよかったね、ヨシオ君。本当に良かった」
 義父が感慨深げに言った。義母は涙ぐんでいる。

 ある日、それこそ何の前触れもなしに私は倒れた。会社の中だった。近くの者が声を掛けたが全く反応はなく、皆が大騒ぎとなって、すぐに救急車が呼ばれ、私は病院へ担ぎ込まれた。
  医者は種々の検査を呆れるほど繰り返したが、原因は不明。気休めの薬と経管栄養で、 私は三年の時を、病院のベッドで過ごした。

 最早医者を含め、誰もが皆そのまま朽ち果てるのだろうと思われた頃、私は突然回復した。
 最初は目が開いた。次に、喋ることが出来るようになり、ベッドで体を起こせるようになると、後は車椅子での生活しながらのリハビリを経て、自力歩行が出来、退院となった。倒れてから、かれこれ四年が過ぎていた。

 そして今日、自宅で、ささやかな快気祝いを催した。

「ありがとうございます、お義父さん。本当にお世話になりました」
 私は深々と頭を下げた。
 私が倒れてから最初の半年は、会社も休職扱いで、減額されてはいたが給料は出ていた。しかし、それが過ぎると、私は会社を首になった。まあ、仕方がないことだった。会社はボランティア施設ではない。

 ただ、間の悪いことに、私が倒れた時、妻はランを産んだばかりだった。私が病院に入院してるため、看病にはそれほど手が掛からないとはいえ、乳飲み子を抱え働くのは無理だった。
 残念なことに、私の両親は早くから他界していて、私の実家の援助は望めない。必然的に、妻は自分の実家に頼らざる得なかったのだ。

「何だ水臭い。実の娘と孫が困っているのに、何もしないで見てるって方がおかしいだろう。別に気に病むことはないんだよ」
「そう言っていただけると助かります」
  私はまた頭を下げた。

「それより、まあ、既に礼は済ましているとは思うが、ヤマシタ君には感謝した方が良いぞ。君の友人には、君が入院している間、何かにつけて色々援助してもらったから」
  義父がヤマシタの方を見て言った。
「なあ、ヤマシタ君」

 言われた元同僚のヤマシタは、義父の言葉に頭を振った。
「いえ、人として当然のことしたまでですよ」
 そして、私の方を向き言った。
「全快おめでとう。これでアイさんも安心だね」

「いや、とても安心などできないと思うよ」
 私は答えた。
「これから新しく仕事を探さなくてはならないけど、僕の病気の原因は結局分からなかった。なので、この前と同じように、再び突然倒れるかもしれない。絶対そうならないとは保証できないんだよ。再就職するには、これはかなり不利な条件のような気がする。
 更に、僕は最早いい年だ。たとえ就職できたとしても、前のようなレベルの賃金は望めないと思う。子育てのためには、妻にも働いてもらわなければならなくなるだろう。二人目の子供も諦めてもらわなくては」

「何だ、随分悲観的なんだなあ」
 ヤマシタが言った。
「大丈夫、何とかなるって。俺も出来る限り協力するから」
 ぽんっと私の肩を叩いた。

「その言葉を待ってたんだ」
  私は言った。
「じゃあ、早速だが、これをお願いするよ」
  ランが子供部屋に引き上げているかもう一度確かめ、私は前もって用意していた念書を取り出した。
「慰謝料と養育費について書いてある。それにサインしてくれ」

「なっ、何だ、慰謝料って?それに養育費とはどういうことだ?」
 会話を聞いていた全員が驚きの表情で固まった。妻は急速に青ざめている。

「僕の妻のアイとの不貞行為に対する慰謝料と、ランの養育費さ。君が実の父親だろ?」
 私の言葉に呆気にとられたのか、誰もが無言だった。しばらくして、レイコさんがポツリと言った。
「やっぱり」
  レイコさんは夫の浮気に薄々気づいていたようだ。

「嘘よ、でたらめよ!」
 妻が叫んだ。
「君にはこっちを」
 私は別の念書を渡した。
「慰謝料と離婚の条件について書かれている」

  妻は渡された書類を手にすると、即座に破り捨てた。
「あなたはおかしくなっているのよ。病気のせいだわ。私はヤマシタさんと浮気なんかしてないし、ランは正真正銘、あなたの子です」

 私は悲しみに暮れながらも、妻に言った。
「身体が効くようになってすぐ、興信所を頼んだんだ。証拠はいっぱいある。写真も動画も。ここで皆に見てもらうかい?」
 それを聞き、妻は怯み、ヤマシタの方を見た。
「それからランが僕の子だというなら、DNA鑑定するのに依存はないよね?」

「アイ、本当なのか?」
  黙りこんだ娘に、義父が尋ねた。
「アイ、何とかおっしゃい!」
 義母がたまりかねて叫んだ。

「寂しかったの。私寂しくて……」
  妻はそう言うと泣き出した。
 ヤマシタはレイコさんから殴られた。レイコさんも泣いていた。

  正直、自分が倒れるまでは、妻を微塵も疑わなかったし、生まれたばかりの子供は自分が父親だと信じていた。
 このことは誰にも、担当医にも告白していないが、実は倒れていた間、身体が動かせないだけで、意識はあったのだ。目はまぶたを開けられた時だけしか見えなかったが、音は全部聞こえていた。そこで妻の浮気を知ったのだ。ランが自分の娘ではないことも。

 その後、いくらかの混乱はあったが、無事に離婚が成立。ランの養育費についても、ヤマシタは払うことに同意した。
 あらかた決着がついた後、私は再び倒れた。
 思い返してみると、私が目覚めたのは、元妻が自分と娘の将来に強い不安を抱いて、寝ている私に愚痴を言った後だった。

  今はもう他人となった元妻に、私を看病する義務はない。子供の養育は、ヤマシタが責任をもって援助するだろう。もしかしたら、ヤマシタも離婚し、元妻と一緒になるかもしれない。とにかく、元妻とランの未来は、私が最初に倒れた頃より良くなっているはずだ。

 本当は私は目をさますはずではなかったのかもしれない。けれど神様が残された元妻とその娘を哀れんで、私にしばしの時を与えてくれたのかも。
 時折、元妻が私に呼びかける声がするが、それも今だけだろう。
 多分私はこのまま朽ち果てる気がする。それでいいのだ。それが三年寝太郎の子孫である私の運命なのだから。

終わり

最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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ジャンル : 小説・文学

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ジャック・リッチーの短篇集を読んで、その読みやすさに感銘を受けた火消茶腕です。

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