コンテントヘッダー

怒りの葡萄




「で、どういうわけ?」
 就業後の居酒屋で、目の前にはたった今、ジョッキを飲み干したトヨカワさんがいた。大変怒ってらっしゃる。

「え~と、どういうわけとおっしゃいますと?」
 俺は一応聞いてみた。まあ、心当たりはあれしかないが。

「テライ君から聞いたの、私に関するうわさ。あなたが話してくれたって。あっ、中生おかわりお願いします」
 店の人に笑顔を向けた後、また、鬼の形相で俺を睨む。やっぱり、昨日のことか。

「テライ君に、随分ひどいこと吹き込んでくれたわね。なぜ?私、あなたに何か気に障ることした?」
「滅相もござりません」
 俺は両手を付き、座敷のテーブルに頭を擦り付けた。
 
 トヨカワさんは当然だろう、いう顔をした。
「じゃあ、なんで?」
 棘のある表情。しかし声は落ち着いていた。よけいに怖い。

「え~と、実は昨夜、テライと飲んだんです」
 俺はおそるおそる顔を上げ、ちらっとトヨカワさんの顔を盗み見て言った。
「そこでその、テライが、その、トヨカワさんに、振られちゃったって愚痴りまして……」

「そう。それで?」
 全く表情を崩さず、まだ俺を睨む。俺はとにかく正直に、その時のことを語った。
「テライはトヨカワさんのことを本当に好きだったんです。その分、落ち込みが激しくて、それで、愚かにも俺はきつねとぶどうの話を思い出しまして……」

「きつねとぶどう?」
 俺の話が意外だったのか、トヨカワさんはやっと怒りの表情を解いた。
「ええ、イソップの寓話で、ある日きつねが森でぶどうを見つけんだけれど、高いところに生っていて、どうしても採れない。そこで、きつねは”あのぶどうはどうせ酸っぱいさ”て言う、そんな話なんですが」

「その話は知ってるわ。つまりきつねがテライ君で、私がぶどうってことかしら?」
「その通り。で、テライがいつまでもウジウジしてたので、ぶどうは酸っぱいんだよ、と思わせようとしまして」
「私のうわさ話をした、と?」

「はい、大変申し訳ありませんでした」
 また、深々と頭を下げる俺を見ながら、トヨカワさんは先ほど来た、ビールのお代わりに口をつけた。
「テライ君にわざわざ言ったんだから、あなたもあの話を信じてるわけね?私のうわさ話」
 怒りの表情はなくなって、代わりに失望した顔でトヨカワさんが言った。

「いえ、実は半信半疑でして……。何も証拠があるわけじゃないですからね。だから、あくまで根拠の無いうわさ話なんだけど、と前置きして、テライに言ったんですが……。まさか、次の日に本人にご注進するとは。テライって健気ですよね。あの、余計なことかもしれないけど、テライじゃ駄目なのかな。もう一回、考えてやっても……」

「私、好きな人がいるから」
 トヨカワさんがきっぱりと言った。あら、初耳。
「じゃあ、その人ともう付き合ってるんだ。だったらそう、テライに言ってやってくれよ。そしたらあいつだってあきらめると思うんだが」

「まだその人には告ってないから、誰とも付き合っていない状態だけど、好きな人はいる、ってちゃんと伝えたのよ、彼には」
 彼女が言った。
「とすると、あいつ、それを、トヨカワさんが自分をかわすための嘘だと取ったんじゃないかな。まったく、テライのやつ、しょうもない」
「ああ、なるほど。そうなのかも」
 トヨカワさんはまたビールをあおった。

「それにしても、だとしたら、本当にごめん。あんなうわさ、トヨカワさんのその好きな男の耳に入ったら、目も当てられないよね。うわさしている奴らに止めるように言うよ」
 俺はそう言った。
「ん~、別にもう良いよ。多分、手遅れだから」
 トヨカワさんが言った。

「えっ、そうなの」
 俺は聞いた。
「多分ね。ところであなたに私のうわさを吹き込んだの、ナミコでしょ?」
 突然、そう聞いてきた。
 
 えっ!
 俺は驚いた。図星だ。ある日、同じ部署の彼女が、社内のうわさとして、俺に教えてくれたのだった。
 しかし、はい、そうです、と言うのははばかられる。トヨカワさんも、ニシカワ ナミコちゃんも会社で頻繁に顔を合わせる間柄だ。えらい火種になってしまう。

「えっ、どうだったかなあ。いろいろな人から聞いた気がするんだけど」
 俺はそう言ったが、トヨカワさんは信じていないようだった。
「いいのよ、分かってるんだから」
 そして、ジョッキをドンと置いた。また、怒りだしているようだ。

「言わせてもらうけど、部長のことはね、飲み会の後、帰るほうが一緒だから送ってあげるって、言われて、信用してたら、いきなりホテルに連れ込もうとしたの。だから、私があそこ蹴りあげて逃げただけのことなの。でも、どうやら、ホテルの前で二人でいたのを誰かに見られたみたい。それで、私と部長があやしいとなったようだけど、誰も真偽を尋ねて来ないので、まあ、良いか、って放置してた」

 あそこ蹴り上げたって、確か、トヨカワさんは中学、高校と空手ならってたはず。そう言えば、部長が急に休んだことがあったような。

「課長のはもっと最低で、研修会に一緒に泊りで行って、その後、二人で飲もうと誘われたから断ったら、ホテルの部屋まで押しかけてきてね。だから、あいつも、あそこ蹴り上げて、叩きだしてやったのよ。そしたら、仕返しなのか、親しい男連中に私と関係を持ったように匂わせたみたい。全く最低。それで、なぜか、部長がお下がりとして、私を課長に譲ったとか何とか、そんな話がいつの間にか出来上がってた」

 えっ、課長も蹴ったのか?俺は身震いした。そういえば、確かに、いつだったか、課長が変な歩き方をしていたことがあったな。

「それから、あのアホのヌノベは、そのうわさを信じて、私に近づいてきた。ちゃんと彼女がいるのに!
 簡単にやらせてもらえるとでも思ったのかしら。本当に馬鹿にしている!」
 トヨカワさんは怒り心頭に発したのか、今度はテーブルを殴りつけた。

「で、やっぱり蹴ったの?ヌノベのあそこ」
「ええ、蹴ってやったわよ」
 酔いが回ってきたのか、彼女のろれつがやや回らなくなってきている。
 やばい。下手に機嫌を損ねると、俺も蹴られるかもしれない。何とか、彼女の怒りを解かなければ。俺は身が縮む思いだった。

「全く、人を何だと思ってんのよ。私ねえ、本当はまだ、男の人と一対一でお酒を飲んだことさえないのよ。それが、まるで淫乱ビッチのようなうわさ流されてさ」
 ここで、トヨカワさんが少ししょげた。うわさが全部嘘だとしたら、確かに可哀想だな、と思った。好きな相手にもきっと誤解されてるんだろうし。

「元気を出して、トヨカワさん。君がそんな人じゃないって、俺は信じるよ」
 俺はそう言った。実際、相手を蹴って撃退したという話は信ぴょう性がある。

 俺の言葉を聞いて、トヨカワさんはじっとこちらを見た。
「で、ノナカ君。あなたはナミコのことどう思ってるの?」
 唐突に聞いてきた。

「はあ?なんで?」
 俺は言った。なんで、ナミコちゃん?俺にうわさ話をしこむくらいだから、特別な関係と誤解した?
「ナミコちゃんはただの同僚だよ。別に何とも思ってないけど」

 俺の答えに、トヨカワさんはニヤリと笑った。
「はあ~、ノナカ君は本当に鈍感だねえ」
 そう言って、ジョッキに口をつける。俺が無言でいると、それからまたしゃべり出した。
「なんでナミコがあなたに、私の悪いうわさ話をわざわざしたのか、分からないの?」
 俺は首を振った。

「あのねえ、それはねえ。ライバルを蹴落とそうと考えたからよ」
 はあ?意味が分からない。ライバルって、ナミコちゃんはそんなに出世欲があったっけか?
「ああ~、その顔。全く分かってないのね。あのねえ、今私が飲んでいるのは何?」
 更に変なことを言う。
「ビールだろう」
 俺は答えた。

「そう、ビール。お酒よね。それで、今は?ここに誰がいる?私とあなたの二人きりだよね」
「ああ、そうだけど」
「私がさっきなんて言ったか覚えてない?こう言ったのよ。まだ男の人とは一対一でお酒を飲んだことさえない、って」

「あれ?じゃあ、さっきの話は嘘?」
 俺が言った。
「嘘じゃないわ。男の人と一対一でお酒を呑むのはこれが初めて」
 そう言って、トヨカワさんは照れくさそうに笑った。

「私に対するうわさ話は嘘だと、私が複数の男と不倫なんかしていないって信じてくれたのよね?」
 やや、涙目だった。
 俺は大きく頷いた。


 結論から言えば、ぶどうは甘くて、とても美味だった。末永く、愛でたいと思った。
 それに、へたなことをすると、あそこに重大な危機が訪れそうだしね。
 来年には一緒になりたいなあ。


終わり

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
スポンサーサイト

テーマ : ショートショート
ジャンル : 小説・文学

このページのトップへ
このページのトップへ
プロフィール

火消茶腕

Author:火消茶腕
ジャック・リッチーの短篇集を読んで、その読みやすさに感銘を受けた火消茶腕です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR