ザ ミラクル ワーカー
「ミラクルワーカー?何ですか、それ?」
若い男が聞いた。
「ん?最近発明した薬でね。三重苦を治す効果があるんだ」
教授が答えた。そして「これがそうだよ」と言って側の透明の液体が入った瓶を相手に渡した。
瓶を受け取った男は一応中の液体を確認しながら言った。
「三重苦というと、見えない、聞こえない、しゃべれないっていう障害ですよね。そんなひどい病気がこれを注射するだけで良くなるんですか?すごいなあ」
男は本当に驚いたらしく、言葉に尊敬の念がこもっている。
「いや、ちょっと違うんだけどね」
それに対し、教授が照れたように言った。
「違う、といいますと?」
男の質問に教授が答えた。
「まず、この薬は君が考えているような本格的に重い障害を抱えた人向けではないんだ」
「は?」男は訳が分からず言った。「ではこの薬は一体?」
「実は」教授が説明した。
「それは本当に目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、しゃべることができなかったりする人に使うものではなくてね、目は確かに見えているんだけど見えてなかったり、耳は聞こえているはずなのに聞こえなかったり、しゃべれるはずなのにしゃべれなかったりする人に対して効果があるんだ」
「はい?」
男はまだよく理解できなかった。いったいどういうことなのだろう。
「つまりね、この世にはやたら鈍感な人間ってのがいるのよ。同じ現象を見て、聞いているのに、何でそんな結論になるのかってことがしばしばあると思わない?それと何でその状況で出るはずのセリフが出てこない?ってことがさあ」
「ああ、なるほど」
男は納得した。
「確かに、そんなことありますね。うん、うん」
「分かった?」
「ええ」
男はにっこり笑った。
「それで?」
「え?それで、って言いますと?」
男が聞き返した。
その反応を見て教授が首を傾げた。
「おかしいなあ。そろそろ効いてきてもいいんだけど」
「はい?」
男が驚いて言った。
「さっき、君はその薬、注射すればって言ってたけど実は飲むものなのよ」
教授がそう言った瞬間、男はここに来るなり出されたお茶が少し味がおかしかったのを思い出した。
考えて見れば、今日はこの研究所は休み。それなのに自分はわざわざ呼び出され、二人っきりでここにいる。
しかも、今日の教授の服装は普段より随分と女っぽい。
そう言えば、あれも、これも、と男の脳裏に次々と教授との今までの付き合いの様子が浮かんできた。
「教授!」
男は真剣な目をして相手を見た。
「なに?」
教授はやや顔を赤らめながら期待した目で言った。
「僕は、実は……実は……」
「実は?」
「同性愛者なんです。済みません」
男は深々と頭を下げた。薬の力なのか、他人にカミングアウトしたのははじめてだった。
「はあ?」
なにそれ?教授はあまりのことに固まったままだった。男は心配しつつも、また頭を下げるとそそくさと部屋を出て行った。
こうして教授の目論見は破綻し、変調を来した彼女は、後日ミラクルワーカーを方々に仕込むテロを行い、周囲は混乱のるつぼと化すのであった。
めでたくなし、めでたくなし。
おしまい
「どう?」
私は高鳴る胸を抑えながらアイザワ君に感想を聞いた。
「うん、今回もなかなか良かったんじゃない」
そう言って彼は原稿を返してよこした。そのしゃべり方や態度をしっかりと観察したが、何ら変化はない。普段と同じだ。
今日は休日。部室には私とアイザワ君しかいない。二人っきりだ。そして私はかなりおしゃれに頑張った格好をしているのだが。
私はこの物語の教授のように「それで?」と聞く勇気はなかった。
本当に世の中には見えているはずなのに見えず、聞こえたるはずなのに聞こえない、しゃべれるはずなのにしゃべれない、そんな人間がいっぱいいる。
今に本当にこんな薬ができるかもしれない。そんなふうに私は思った。
終わり
最期までお読みくださり、ありがとうございました。
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