ピーターパン
男は眠っている少女をじっと見つめていた。
きれいな顔だ。
男は思った。
見慣れていたはずなのに、その可愛らしさ、美しさに男は驚きを禁じ得なかった。
どうする?
今の少女の状態なら、コールドスリープに陥っている今なら意識はない。男の自由にできる。
だめだ、だめだ!何を考えている。そんな卑劣な、そんな汚らわしいこと。
男は首を振って、考えを打ち消した。
そしてもう一度少女を見る。
透明なハッチの中の、下着姿の少女の肢体は細く、抱きしめれば折れてしまいそうだ。
凍りついた唇が愛らしい。せめて口づけだけでも。
そんな衝動が男に湧き上がり、男は自分に恐怖を覚えた。
男と少女はアストロノーツだった。
今は船の中で、乗組員は二人だけ。二人でこの小型宇宙船をタイタンから地球まで引っ張っていくのが仕事だったのだが。
出発当初、男も体は少年だった。成長抑制剤の賜物である。
この薬、人を少年のままでいることを可能にするのでついた名前、通称ピーターパンメーカーは老化を止めるのだが、アストロノーツをめざす場合は思春期前に投薬する。
ピーターパンメーカーは細胞の分裂を抑えることで、宇宙放射線による細胞の癌化を防ぐ事ができた。その為、宇宙旅行には必須の薬となっているが、アストロノーツが思春期前に投与し始めるのは、それにより、船員間のトラブルが極端に減ることが実証されたからである。
二次性徴が始まる前にピーターパンメーカーを飲み続けると、体は少年、少女のままで知能は発達していく。宇宙では肉体の強い力は必要としないので、それで十分、アストロノーツとしての役割は果たせるのだ。
今回の航海で船に乗った二人は、体は少年と少女ながら実に宇宙での経験は二十年以上のベテランだった。
そのため何の不安もなく、旅だった二人だったのだが。
船が故障、一部の区間が爆発して、航海の間中投与するはずだった成長抑制剤を失ってしまったのだった。
航海の期間はまだ五年もあった。どこかに寄る事もできない。
そこで取り決めに従い、少女はコールドスリープ装置に、男は少女より階級が上だったため、船を管理するため眠らずに過ごすことになった。ピーターパンメーカーなしで。
成長抑制剤の投与を止め数ヶ月で男に変化が現れてきた。身長が伸びだし、声変わりが始まった。二次性徴の発現だった。
男は知識として自分に起こることは知っていたので、戸惑いはなく、冷静に事態に対処していた。しかし、それもコールドスリープに眠った少女を見るまでのことだった。
男は眠る少女の姿に衝撃を覚えた。男の胸に今まで経験したことのない感情が渦巻いた。以来、男は幾度となく少女のもとに通った。
いくら知識があったとしても、湧き上がる衝動は体験しなければわからない。その甘美な思いに男はもはや爆発寸前となった。
だめだ!もう耐えられない!もう、どうなってもいい。あの子をこの手で抱きしめる。
あの子をコールドスリープ装置から出して、あの子が目を覚まさないようにうまくコントロールして。やってやる!やってやるんだ!
男は少女のところにひた走り、すぐにコールドスリープ装置を解除した。
透明のハッチが開く。
男は矢も盾もたまらず、少女の冷たい体に抱きついた。
瞬間。男の体に痛みが走った。
えっ?
針?
見ると男の胸に短い針が刺さっていた。
なに?この子が仕掛けていた?
意識が遠のく。
この子はこうなるのを予測していたのか?
この子も男について知識だけはある。
まいった。かなわないな。
それが男が最期に考えたことだった。
「なんてことになったら大変でしょ」
データチップを俺に押し付けながら、相棒のマーワーが言った。
「誰がお前みたいなブスにそんな気になるか!」
俺はチップを払いのけた。失礼な!
奴はあろうことかアダルトグッズの三次元データを俺にと持ってきたのだ。もし、さっきやつが言ったような状況になったら3Dプリンターで再現して、それを使って危険を回避しろだと。言ってろ!
俺はチップを踏んづけて粉々にしてやり、マーワーには有無も言わせず船に乗り込ませた。事故なんか起こるか。俺もお前も、当分の間はピーターパンメーカーを飲み続け、この身体のままでいるのさ。宇宙に飽きて、引退するまでは、ずっとだ。俺は飽きないけどな。
そんなふうに思っていたんだが、先のことは誰もわからないという。まったくだ。
何の事はない。俺たちの乗った船は事故を起こしてしまった。そして、案の定、成長抑制剤を失った。でも、そこでことは終わらなかった。何とその事故でコールドスリープ装置も壊れたのだ。
我々二人は自分の体が二次性徴を迎えるのを抑えるすべはなかった。
この言葉が危険だとわかっているが、あえて言おう。
「俺、この航海が終わったら結婚するんだ」
終わり
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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