運命
「すこし頭を冷やしてくる」
そう言って夫は出て行った。
私は深いため息をつく。どうしてこうなった。私達は何も悪いことはしていないのに。
あの日から、今までに起こったさまざまなことを思い出し、私は涙ぐんだ。
その時、私の目の前の空間が、怪しい音とともに突然歪みだした。
「な、なに?」
私は驚きのあまり動けず、しばらくそれを眺めていた。すると、その歪んだ空間から、人の顔のようなものが浮かび上がってきた。ただし歪みが酷く、どんな顔かは分からない。その空中に浮かんだ顔が、おもむろにしゃべりだした。
「ここは20XX年4月3日のターファの家か?」
おかしなことを言う。
「どうだ?そうなのか?時間がないんだ、答えてくれ!」
相手の切羽詰まった物言いに私は思わず返事をした。
「ええ、そうよ。ここはターファの家よ。あなた何?どういうこと?」
私の質問には答えもせず、相手は叫んだ。
「やった!成功だ。怪しげな話だったが信じてよかったよ。そうか、じゃ、あんたミートクだな、ターファの奥さんの」
自分の名前を呼ばれたことで私は怪しみ、すこし身構えたが、一応は頷いた。
なに、この顔だけの男(声でわかる)。
そんな私の困惑を無視し、空中の顔がしゃべり続ける。
「驚かないで聞いてくれ。信じられないかもしれないが、俺はあなた達の子孫なんだ。ちょうどあなたの玄孫にあたる。今、未来からあなたのところに重大な知らせを持ってきたんだ。こうしていられる時間は1~2分らしいから手短に話すぞ」
空中の男はとにかく焦っているようだった。
重大な知らせ?遅すぎる!なんで今頃!ことはとっくに起こってしまったのに。
私の思いが通じたのか、男が言った。
「あんたがなんで今さら、と思うのは分かる。もっと前にこなければおかしいって思うのはな。しかし、俺も難しいことは分かんないんだが、時空の波動の都合がナンタラカンタラで、この時刻でしかこうしてメッセージを送ることが出来ないらしいんだ。
そこで、今回の目的だが、今、あんたたち夫婦は引っ越そうかどうか迷ってるだろう。記録にそうなってる。それでだ。いいか。引っ越しちゃ駄目だ。ずっとこの地に住み続けるようにしろ。あんたの息子や孫たちにもそう言い聞かせるんだ。分かったか?」
意外な忠告に私は訝しんだ。なぜ?逆でしょ?
「どういうこと?」
私は顔だけ男に聞いた。
「今俺のいる時代では、あんたたちが引っ越してしまったお陰で、俺は最高の不幸を味わってるんだ」
「不幸?私達の引っ越す先で何か大変なことが起きるの?」
私は不安になって聞いた。
「いや、何か特別なことがあったとは聞いてないな。ごく平凡に過ごしたはずだぜ」
意外な返答に私はムカついて聞いた。
「じゃ、なぜ、引っ越しちゃ駄目なの!あんたひょっとしてターファとグルになって、なんか変な仕掛けで私を騙そうとしてる?」
私の剣幕に相手はややたじろいで言った。
「いや、あんたを騙したりしてないぜ。説明すると、あんたたちが引っ越したために、俺は宇宙飛行士として最大の名誉であるタイタン探査の一員に選ばれなかったんだ」
まるで話が見えない。私が呆れていると、相手は構わずに言った。
「俺は筆記も実地試験も全て優秀な成績で、経験も誰よりもあったのに、ただ一点、宇宙線に対する耐性がほかの奴らより劣っていたために選考から落とされたんだ」
はあっ?
意味分かんないんですけど。
「もし、あんたらが引っ越さずにいてくれたなら、俺も強い耐性を持っていたはずなんだ。実際、今回の探査に選ばれた奴らはみんな今あんたらがいる地方出身者だ。奴らは宇宙飛行士には最適なんだ。人種的に体格は小柄で、体重が軽い。まあ、俺もそうだが。そして何よりも放射線障害に対する修復力が格段に優れている。お陰で、宇宙船の装甲を分厚くせずに済むのさ。多少宇宙線が船内に入ってきたとしても、平気なんだ。それで船を軽くできる。これはすごいメリットなんだよ」
さらに訳が分からない。
「だから、今いるところにとどまってくれ。そうすれば子孫は放射線に対する耐性がつき、みんな立派な宇宙飛行士になれるんだ。あっ、もう時間だ。じゃ、頼むぜ。あっ、あっ」
顔が消えた。部屋は全く元通りになった。
しばらくして夫が戻ってきた。私は今あったことを全て正直に話した。
結果、私の希望通り、この地を離れることになった。夫は私が精神的におかしくなったと思っているようだ。
おかしくもなるだろう。いくら安全だと政府が発表しても、あの原発事故以来、私のいる地方の放射能は以前より確実に高いのだ。まして私は身重だ。だから直ぐにでもこの地を離れたかったのに、夫は色々理由を付け、なかなかうんと言わなかった。
私の子孫とか言う、名前も知らぬ男は私の救世主となった。本当は私が見た幻なのかもしれないけど。
私達が引っ越し、子孫が宇宙飛行士に選ばれないのは運命なのだ。どんなに努力しようとも変えられないことなのだ。
もし運命が変えられるというのなら、あの事故以前の平和だった街に戻りたい。
私はそれを強く願うだろう。
終わり
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