SAY YES
その時はかなり酔っていたんで、記憶がはっきりとはしていないんだが、普段は行ったことがないバーで変な老人と知り合った。何が変かというと、その老人が突然妙なことを言い出したんだ。
「私はね、不思議な力を持っているんですよ」
実に唐突な物言いだった。しかし、俺も酔っていた。不思議とも思わず、
「不思議な力?と言うと超能力ってやつですか?」と、返した。
「超能力!たしかにそう言ってもいいかもしれませんな」
老人は鼻の頭まで赤くして、コップをあおった。中身はかなり強い酒だ。
「で、その超能力がどうしたんです」
俺はややろれつが回らないしゃべり方で聞いた。
「いやね、この力をあなたに譲ろうかと思いましてね」
老人はニコニコと笑った。
「へ?私にですか?そりゃありがたいことですが何でまた私に?今日はじめてあった仲じゃありませんか」
俺はやや焦点の合わない目で、老人を見て言った。
「まあ、そうなんですけど、前からこの力を誰かに譲ろうと考えてたんですよ。私も年ですからね。この力を使うのはもういいかな、と思いましてね。
そしたら今日、ここでこんなに馬の合う人に出会った。こんなに愉快に飲んだのは何年ぶりだろう。とにかく、気持ちがいい。その御礼として、どうです、私の力、もらってくれませんか?」
真面目な顔でそう言う。
くれるというのを無碍に断るのも何だと思ったので俺は快く引き受けた。
「いいですよ、もらいましょう。って、ところでそれはどんなもんなんです?」
「実はですね、人にハイって言わせることができる力なんですよ」
「へっ?ハイって言わせる力?」
「お疑いでしょうな。まあ、無理もありません。じゃ、実際お見せしましょう。君、ちょっと」
そう言うと老人はカウンターの中のバーテンを呼んだ。
「はい、なんでしょう?」
「同じやつをもう一杯頼む」
「かしこまりました。ジントニックのおかわりですね」
「そうだ。それで相談なんだが、その一杯は店のおごりにしてくれないか」
老人はバーテンの顔を見据えていった。バーテンは承諾し、人の眼の前にある空になったグラスを下げようとした。
「それで、この隣の人は私の友人なんだが、彼にも一杯おごってほしい。いいね」
また、バーテンをにらむ。
「はい、隣の方のぶんもですね」
バーテンは渋々ながら、俺の前のグラスも下げ、新しい酒を持ってきた。
「どうです、結構便利な力でしょう」
老人は笑って俺に語った。
「おお、すごい。これでただ酒が飲み放題だ。こりゃいいや」
「では、私の方を向いてもらえますかな」
老人は俺の顔を自分の方に向かせ、それからなにやら唱えだした。
俺はすでにもうろうとしていたが、さらに頭がクラクラしてきて、それから先の記憶がない。
気が付くと自分の家のベッドで寝ていた。
ズキズキする頭で昨夜のことを思い出し、早速力とやらを使って見ることにした。確かただ強く願えばよかったはずだ。
「おーい、水を頼む」
俺はさっきから音がしている台所に向かって叫んだ。
「はーい」
女房の声がした。素晴らしい。普段なら返事などしない。酔っ払って帰ってきた朝は女房は俺を冷たくあしらい、無視を決め込むのが普通だ。力は本物のようだ。
待つことしばし、女房が水を持ってくることはなかった。
「おい、水だよ、水。寝床に持ってきてくれ」
再び叫ぶとまた「はーい」という返事が帰ってきた。しかし、待てど暮らせど女房は現れなかった。しびれを切らして、俺は台所に行った。
「おい、水って言っただろう、何で持ってこないんだよ」
俺が怒って言うと、女房はさらに怒った声で言ってきた。
「何で私があなたに水を持っていかなきゃならないのよ」
俺は一瞬ビビったが「何でって、『はーい』てお前は返事しただろう」と、言い返した。すると女房は
「だからなによ。何で私が勝手に遅くまで飲んで、寝坊しているあんたにわざわざ水を運んであげなきゃいけないわけ。甘えるんじゃないわよ」
恐ろしい剣幕である。俺はすごすごと引き下がった。それでも女房の怒りは凄まじく、俺が出勤するまで収まることはなかった。
どうもおかしい。俺が老人からもらった力は実はあまり使えないのかもしれない。
その後、いろいろ試してみた。力は確実に相手に「はい」という返事をもたらした。しかし、それだけだった。相手に心から承諾させる力はないらしい。みんな良い返事はするが、いざ実行となると、何らかの理由を付け、俺の願いを拒否した。
深い仲になれるのではと期待した娘も駄目。行きつけのバーのただ酒も無理だった。
結局、この力は私生活に活用することはあきらめなければならなかった。しょうがない。あまり気が進まないが、自分の仕事に役立てることにした。
「あなたが見たのはこの男ですね」
「おまえがやったんだろう」
相手はハイと言った後あわてて否定することが多かったが、今肯定しただろう、と、問い詰めると狼狽してよくボロを出した。刑事としての成績はかなり上がるようになった。
曖昧な記憶も根拠の薄い逮捕でも、この力で確実なものにできる。かなり誘導しなければならないが。
俺の仕事は犯罪の捜査だ。本当に罪を犯したのか決めるのは裁判所の仕事。それで冤罪が作られたとしても、それは裁判所の責任だ。俺ではない。
俺の行為は正しい。そうだろう。そうなんだよ。ハイと言え。
終わり
「私はね、不思議な力を持っているんですよ」
実に唐突な物言いだった。しかし、俺も酔っていた。不思議とも思わず、
「不思議な力?と言うと超能力ってやつですか?」と、返した。
「超能力!たしかにそう言ってもいいかもしれませんな」
老人は鼻の頭まで赤くして、コップをあおった。中身はかなり強い酒だ。
「で、その超能力がどうしたんです」
俺はややろれつが回らないしゃべり方で聞いた。
「いやね、この力をあなたに譲ろうかと思いましてね」
老人はニコニコと笑った。
「へ?私にですか?そりゃありがたいことですが何でまた私に?今日はじめてあった仲じゃありませんか」
俺はやや焦点の合わない目で、老人を見て言った。
「まあ、そうなんですけど、前からこの力を誰かに譲ろうと考えてたんですよ。私も年ですからね。この力を使うのはもういいかな、と思いましてね。
そしたら今日、ここでこんなに馬の合う人に出会った。こんなに愉快に飲んだのは何年ぶりだろう。とにかく、気持ちがいい。その御礼として、どうです、私の力、もらってくれませんか?」
真面目な顔でそう言う。
くれるというのを無碍に断るのも何だと思ったので俺は快く引き受けた。
「いいですよ、もらいましょう。って、ところでそれはどんなもんなんです?」
「実はですね、人にハイって言わせることができる力なんですよ」
「へっ?ハイって言わせる力?」
「お疑いでしょうな。まあ、無理もありません。じゃ、実際お見せしましょう。君、ちょっと」
そう言うと老人はカウンターの中のバーテンを呼んだ。
「はい、なんでしょう?」
「同じやつをもう一杯頼む」
「かしこまりました。ジントニックのおかわりですね」
「そうだ。それで相談なんだが、その一杯は店のおごりにしてくれないか」
老人はバーテンの顔を見据えていった。バーテンは承諾し、人の眼の前にある空になったグラスを下げようとした。
「それで、この隣の人は私の友人なんだが、彼にも一杯おごってほしい。いいね」
また、バーテンをにらむ。
「はい、隣の方のぶんもですね」
バーテンは渋々ながら、俺の前のグラスも下げ、新しい酒を持ってきた。
「どうです、結構便利な力でしょう」
老人は笑って俺に語った。
「おお、すごい。これでただ酒が飲み放題だ。こりゃいいや」
「では、私の方を向いてもらえますかな」
老人は俺の顔を自分の方に向かせ、それからなにやら唱えだした。
俺はすでにもうろうとしていたが、さらに頭がクラクラしてきて、それから先の記憶がない。
気が付くと自分の家のベッドで寝ていた。
ズキズキする頭で昨夜のことを思い出し、早速力とやらを使って見ることにした。確かただ強く願えばよかったはずだ。
「おーい、水を頼む」
俺はさっきから音がしている台所に向かって叫んだ。
「はーい」
女房の声がした。素晴らしい。普段なら返事などしない。酔っ払って帰ってきた朝は女房は俺を冷たくあしらい、無視を決め込むのが普通だ。力は本物のようだ。
待つことしばし、女房が水を持ってくることはなかった。
「おい、水だよ、水。寝床に持ってきてくれ」
再び叫ぶとまた「はーい」という返事が帰ってきた。しかし、待てど暮らせど女房は現れなかった。しびれを切らして、俺は台所に行った。
「おい、水って言っただろう、何で持ってこないんだよ」
俺が怒って言うと、女房はさらに怒った声で言ってきた。
「何で私があなたに水を持っていかなきゃならないのよ」
俺は一瞬ビビったが「何でって、『はーい』てお前は返事しただろう」と、言い返した。すると女房は
「だからなによ。何で私が勝手に遅くまで飲んで、寝坊しているあんたにわざわざ水を運んであげなきゃいけないわけ。甘えるんじゃないわよ」
恐ろしい剣幕である。俺はすごすごと引き下がった。それでも女房の怒りは凄まじく、俺が出勤するまで収まることはなかった。
どうもおかしい。俺が老人からもらった力は実はあまり使えないのかもしれない。
その後、いろいろ試してみた。力は確実に相手に「はい」という返事をもたらした。しかし、それだけだった。相手に心から承諾させる力はないらしい。みんな良い返事はするが、いざ実行となると、何らかの理由を付け、俺の願いを拒否した。
深い仲になれるのではと期待した娘も駄目。行きつけのバーのただ酒も無理だった。
結局、この力は私生活に活用することはあきらめなければならなかった。しょうがない。あまり気が進まないが、自分の仕事に役立てることにした。
「あなたが見たのはこの男ですね」
「おまえがやったんだろう」
相手はハイと言った後あわてて否定することが多かったが、今肯定しただろう、と、問い詰めると狼狽してよくボロを出した。刑事としての成績はかなり上がるようになった。
曖昧な記憶も根拠の薄い逮捕でも、この力で確実なものにできる。かなり誘導しなければならないが。
俺の仕事は犯罪の捜査だ。本当に罪を犯したのか決めるのは裁判所の仕事。それで冤罪が作られたとしても、それは裁判所の責任だ。俺ではない。
俺の行為は正しい。そうだろう。そうなんだよ。ハイと言え。
終わり