FC2ブログ
コンテントヘッダー

人と猫の幸福のために

 

 視線の先にはゲージの中でじゃれあっている4匹の子猫がいた。
「この子達が?」
 男が尋ねた。

「ええ、そうです。この子達はアレルゲンを、正確にはFel d 1だけですが、それをほぼ分泌しません」
 この貴重な猫を所有している私は少し誇らしげに答えた。
「この子達なら、猫アレルギーの人でも安心して飼うことができるはずです」

「それはすごいですね」
 相手はゲージを覗き込んだ。
「見た限り、どの子も健康そうだ」
 そう言ってから顔を上げた。
「一体どうやったんですか?」

 当然の疑問だと思い、私は答えた。
「いや、偶然のたまものなんです。本当にたまたまこの子の親となった猫を発見しましてね。その子は全くFel d 1を分泌していなかったんですよ。多分、突然変異なんだと思いますが、その子の親については良く分かってないので、はっきりは言えませんけれど」

「偶然に発見したと?よろしかったら、どんな風だったのか教えていただけませんか?良く気付きましたね」
 相手が興味ありげな目をして言った。

「非常に幸運だったとしか言えないのですが、実は私は以前、野良猫の保護活動をしていまして」
「野良猫!」
 相手は驚いたように言った。

「ええ、その子達の親は野良だったんです。それで地域猫として暮らすにしても、去勢したほうがいいだろうと皆で捕獲したんですが、その時のメンバーの一人が猫アレルギーだったんです」
「野良猫の保護活動のメンバーが猫アレルギー持ちだったんですか?それはまあ、奇特な人物だったんですね」
 相手はへえという顔をした。

「まったく、今考えるとそうですね」
 私は笑った。
「まあ、そこでその人にこの猫に触れたのに不思議と症状が出ない、ということを聞かされまして、それで興味を持ったんです。で、調べたら、普通の猫なら分泌しているはずのFel d 1が検出されなかった、という訳です」

「なるほど!」
 うんうんと相手はうなずいた。
 それからおもむろに私に言った。
「ところで、あなたは獣医師でしたよね」
「ええ」
 私は答えた。

「それで大学の卒論のテーマが猫アレルゲンだったんですよね?」
 よく知っているな、と私は思った。ネットにそんな情報が出回っているのだろうか?
「ええ、それでまあ、この子たちの親に会った時に興味が湧いた訳で、調べるのにそれほど苦労なくできました」
 私は答えた。

「以前は都心の方で開業なさってましたよね」
 相手がさらに尋ねてきた。
「ええ、3年ほど前まで犬猫病院を開いてましたが、閉めてしまいました」
 何が言いたい?
 私は相手を見つめた。

「飼い主さんとトラブルになったのが理由ですか?」
 私は少し驚いた。
「どこでそれを?いや、最近のネットならすぐに分かるか。悪評はすぐに広まる」
 私はため息をついた。
「ええ、知っての通り飼い主に訴えられまして、それでそこではやりづらくなってしまって」

「そのトラブルというのが治療に来た猫を逃がしてしまった、というのでしたね」
 相手は私が嫌がっていると分かってるはずなのに話を続けてきた。
「そうです。つい油断して空いていた窓から逃げられてしまって。方々探したんですが見つからずじまいで、飼い主に訴えられて、多額の賠償金を支払う羽目になりましたよ」
 私はは情けない顔をして見せた。

「でも、そのための保険に入っていたんではないですか?」
 よく知ってるな?こいつ、いったい何者だ?
「よくお分かりで。犬猫病院の経営者ならその手のトラブルのための保険には入ってるもんなんでして、それで賠償金を払う時、多少なりとは助かりました」

「ところでその逃げ出して見つからなかった猫ですが、オスのトラ猫でしたよね」
「ええ」
 私は恐怖した。知ってるのか?

「そして、この子達の父親もトラ猫ですよね」
 私はしばらく黙った。しかし、相手も黙ったままだ。
「何が言いたいんです?」
 私はやっとそう口にした。

「あなたは病院を閉めた後、ここに越してきて、そしてこのアレルゲンフリーの猫たちを生産するようになった」
 私は否定も肯定もしなかった。

「あなたは開業していた間、猫が来院したら無断でアレルゲンの検査をしていたんじゃないですか?どこかにFel d 1を作らない猫が存在するかもしれないと考えて」
 私は答えを拒んだ。

「そして、ついにその猫を見つけ、自分のものにしたいがために、猫が治療中に逃げ出して行方不明になってしまったことにした」
「証拠はあるんですか?」
 私はやっとそう言い返した。

「証拠?別にありません。証拠は必要ないと思うんです」
「なに?」
 私は身構えた。次に何を言ってくる?

「実は私も犬猫病院の開業獣医師でして、私も大学で猫アレルゲンの研究をしていました。そして私も今、Fel d 1を作らない猫を所有しているんです」
 意外な言葉に私は驚いた。
「それじゃあ、あなたも、その、治療中の猫を逃がしてしまったんですか?」

 私の問いに相手はかぶりを振った。
「いいえ、正式に譲り受けました。その子の飼い主一家が不幸にあいまして、引き取り手を探していたので」
「そうですか」
 私はうなずいた。こいつは私よりまともなのか?

「まったく、最初にその子の譲渡を希望したときに、素直に応じてくれればよかったんですがねえ」
「はあ?」

「私のところにいるのはメスなんです。あなたのところの猫と交配できれば、まったくFel d 1フリーの子猫が誕生すると思うんですよ。協力してくれますか?」

 相手はにっこりと笑った。
 これは断るわけにはいくまい。
 私は大きくうなずいた。
 私たちは人類に多大なる貢献をもたらすだろう。

終わり
 
スポンサーサイト



テーマ : ショートショート
ジャンル : 小説・文学

このページのトップへ
コンテントヘッダー

父親殺し



「しかし、理論的に可能かどうかは置いといて、自分の父親を殺せるもんかね」
 俺は疑問を呈した。
「実際に親を殺した人間は、過去にたくさんいたでしょう」
 若者は即座に答えた。
「まあ、それはそうだが」
 俺は相手の顔をちらっと見た後、グラスをあおった。

 ここは俺の行きつけのバー。
 今日は人に会う約束をしていたのだが、待ち合わせにはまだ余裕があった。そこで一杯引っかけようとこの店に立ち寄り、そしていつものように隣の席の男に声をかけ、よもやま話に花を咲かせていたのだ。
 そんな中で出た話題が父親殺し。実はそんな物騒な内容ではなく、SFのテーマの一つで、タイムトラベルで過去に戻り、自分の父親がまだ子供のうちに殺してしまうことは可能なのか、というタイムパラドックスについてしゃべっていたのだ。

「そりゃ、親から何の愛情も受けられず、逆にひどい目にあわされたりしていたら、殺してしまおうと思ってもおかしくないさ。けれど、この場合、まだ親になっていない、たぶん若造の姿をしているわけだろう。自分が恨んで憎んでる男の面影はあるだろうが、その姿を見て殺意がわくだろうか?」
 俺の問いに相手は答えた。
「難しいかもしれませんね。見ただけで憎らしそうな感じなら別でしょうが」

「だろう」
 俺は我が意を得たり、と思った。
「おれはSFに詳しくないのでどんな物語で父親殺しが出てくるのか知らないけれど、恨みを持って殺すにしろ、知的好奇心だけで殺すにしろ、親殺しをする人間の性格とか状況をうまく設定しないと、読むほうで感情移入しづらいと思うんだが」

「なるほど」
 相手は納得したようだった。
「確かに自分が生まれる以前の、若い頃の父親を殺すのは心理的ハードルが高いと私も思います。まあ、しかしそこらへんをうまく料理している話はありますよ」

「どんな?」
 俺は聞いた。
「実に単純なことで、父親を殺すのでなくその祖先を狙うんです」
 相手は答えた。

「祖先というと、祖父とか曾祖父とかかな?」
「そうですね。私が知ってる話ですが、主人公は自分のおじいさんの前に現れます」
「おじいさん」
「ええ。主人公は死刑囚となった母親が獄中で産んだ子で、父親が誰か母親にもわからない、そんな子でした。
 彼は生まれてすぐに施設に入れられ、そこで育ちます。その間に性的虐待を受けており、施設を出た後もそのトラウマに苦しみ、ついに虐待した張本人、施設の院長を殺してしまいます。そして逃げている途中でタイムトラベルすることになるんですが、父親が不明なので母親に会いに行きます」

「なるほど、まずは母親か」
「そうです。で、そこで母親の若いころの様子を目撃するのですが、彼女は家族にひどく冷たくされていました。なぜかといえば、彼女は彼女の母親が不倫をしたあげくできた子供だったのです。彼女が学童期にそれが発覚し、家庭は崩壊、母親は行方不明となり、彼女は母方の祖父母に引き取られました。しかし、二人にかわいがられることはありませんでした」

「それで母親は死刑になるような犯罪をしてしまうようになったと」
「そんな感じですね。それで主人公は母親ではなく、母親の実の父親、彼女の母親の不倫相手に会いに過去に飛ぶんです」

「そこで、主人公から見れば祖父にあたるその男を殺すわけだ。確かにそんな男なら殺すことに罪悪感が沸きにくいかもな」
 俺はそう言った。
 すると相手は言った。
「いや、別に主人公は祖父を殺しはしないんです」

 俺は驚いた。
「えっ、殺さないの?じゃあ、なんで祖父に会いに過去に行ったのよ」
 相手は答えた。
「睡眠薬を飲ませるためです」

「睡眠薬?それで殺すんじゃなく?」
「ええ、ただ眠らせるだけなんです」相手は言った。「ただし、眠らせるその日は、主人公の祖母が主人公の母親を授かるはずだった日なんです」

 なぜか急に睡魔が襲ってきた。
「その夜の逢瀬を邪魔さえすれば、主人公の母親は生まれない。不倫関係で頻繁に会っていたわけではなかったので、主人公の祖母が主人公の母親を身ごもったと思われる日は意外と簡単にわかりました。祖母の元旦那さんが細かく調査していたので」

 遠くから声が聞こえてきたが、それっきり俺の意識は飛んだ。
 気づくと、俺は公園のベンチで寝ていた。バーで飲んでからかなりの時間がたっていた。スマホはどこかで落としたらしい。会うはずだった彼女にはその夜は会えなかった。

 翌日、もう一度バーを訪れ、昨夜の自分の様子を聞いてみると、若い男と話してるうちに酔いつぶれ、その男が俺を介抱しながら店を出て行った、らしい。
 若い男はこの店には昨夜初めて来た客だそうだ。俺は何とも言えない気持ちになった。

 

「と、言うような経験が俺にはあるんだ」
 男は言った。
「だから?」
 私は聞いた。

「だから?だからその時思ったのさ。絶対に不倫相手を孕ませる様な真似はすまい、とね。バーの一件以来、俺は徹底的に避妊するようになったんだ。だからお前が不倫相手が生んだ俺の息子だなんてありえない。誰に聞いたか知らないが、そいつに騙されているんじゃないか?」

 訳のわからない言い分をへらへらと話す相手に、私はかっとなり、思わず思いっきり相手を殴りつけた。
 相手は吹っ飛び、テーブルの角に頭をぶつけ、動かなくなった。息もしていないように思う。

 私は父親殺しをしてしまったのか、それともまだ生きているのか、それとも本当に目の前に倒れている男は私の父親ではないのか。
 救急車を呼びながら私は考えた。

 終わり

テーマ : ショートショート
ジャンル : 小説・文学

このページのトップへ
コンテントヘッダー

患者

 


「今晩の見回りなんだけど」
 ベッドに横たわったままでイズミさんが言った。
「午前2時25分ちょうどに来て。お願い」
 
 真剣な顔つきだ。私は答えた。
「もちろん、深夜の見回りには必ず伺います。けれど、ご指定の時間通りにこの病室に来られるかどうかは、済みませんが約束できません。ほかの患者様との兼ね合いもありますので」
 型通りに返事をすると、イズミさんはひどくがっかりした様子だった。
「駄目?お願い、そこを何とか!」
 
 必死な様子が気になり、
「どうして、その時間でなければいけないのですか?」と、わけを聞いた。
 すると、イズミさんは意外なことを言った。
「ちょうどそのころに私は死んじゃうの。多分、何かの発作で」

「はあ?」
 私はイズミさんの顔をしげしげと見た。年は確か72歳。腎臓病がメインの疾患で、認知症は患ってはいないはずなんだけど。
「分かるわ。信じられないわよね。でも本当なの。私は今晩、発作みたいなのを起こすのよ。それで、それに気付いてもらえなかったようで、死んでしまうの。だから、私が発作を起こす午後2時25分に、あなたたちに来てほしいのよ」
 
 私は相手の顔をうかがった。私を担いでる様子はない。では、妄想か?入院すると普段の生活と大きく違うため、それをきっかけとして妄想を抱く患者は時々いる。けれど、自分の死の予感を時間まで明確にして訴えるのは珍しい。
 私はイズミさんに尋ねた。
「どうして、そんな風に思うんですか?」
 すると、イズミさんは悪びれもせず答えた。
「それは実際に今晩何度も死んでいるからよ」
 
「はあ?」
 私は彼女の言っている意味が分からず、ただ相手の顔を見た。
 そこで彼女は言った。
「昔ね、子供のころのことだけど、私は体が弱くてね。両親はそんな私のことを心配して、あるところにすがったらしいの。そこでは謝礼さえ弾めば、確実に長生きできる力を授けてもらえる、と言われていたらしくて。私はその時は小さくて何も覚えてないのだけどね。とにかく、両親はそこに頼って、私は八十までは絶対に死なない、そんな体にしてもらったそうなのよ」
 
 何を言っている?
 私はさらに怪訝な目でイズミさんを見たのだと思う。彼女は訴えるように私に言った。
「もちろん、私も信じなかったわよ。大丈夫、ちゃんとあるところに頼んだから、八十までは絶対生きられるから、ってよく言われたんだけど、私は自分の体が弱いことを苦にしていたから、両親がそんなうそで私を元気づけていると思っていた」
 イズミさんは少し遠い目をした。
「あの頃、父や母のこと、全然信じてなかったけど、悪いことをしたわね」

「あの、それで何を言いたいんでしょう?」
 私は恐る恐る尋ねた。イズミさんはひょっとして、完全に狂ったんだろうか?
「両親のそんな言葉、こうなるまではすっかり忘れてたのね。だけど、こんなことになってみると、原因はそれしか考えられないのよ」

「え~と、イズミさん?」
 私の言葉を無視して、彼女は言った。
「夜中、突然胸が苦しくなって、目が覚めたの。それはそれは苦しくて、呻いてもがいて、やがて気が遠くなって、気付いたら朝だった。それで、目が覚めてみるともう全然苦しいところはなくてね。ああ、寝てる間に治ったんだ、と思ったんだけど、でも、変だったの。テレビで日付を確認したら、目覚めたその日は十月二十日だったんだけど、でも、私が発作を起こしたのも十月二十日の夜、眠りについた後だったはずなのよ」

「え~と、つまり?」
 私は頭を巡らせた。
「どうやら、私は今日をやり直してるみたいなのよ。繰り返す一日っていうのかしら。夜中苦しくなって、目覚めたらまた二十日の朝に戻っていて、っていうのを何回か繰り返しててね。で、考えられることは、どうも私は夜発作を起こして死んでしまってるんじゃないかってことなのよ。すると、それでは八十まで生きたことにならないじゃない。だから、今晩死なないで済むように、もう一回今日をやり直すことができる、そんな力を私は子供のころ授かったんだと思うのよ。それでね。前回、やっと発作を起こす時間が確認できたの。それが午後2時25分」

 真剣そのものの表情だ。
 イズミさんが狂っているにせよ、本当に今日を何回も繰り返してるにせよ、面倒ごとは避けたかったので、ここは穏便に済ませるようにした。
「わかりました。2時25分ですね。その時間にここに見回りに来ます」
 私はそう約束した。
「ただし、発作を起こしていないようだったら、特に何も処置は致しませんけれど、それで構いませんね」
 私の言葉にイズミさんはたいそう喜んだ。
「ああ、やってくれるの。ありがとう」
 身を起こし、私の手を握った。
「大丈夫、あなたがちゃんと2時25分に来てくれるなら、きっと発作を起こしているから」

 その晩、2時25分過ぎ、私はイズミさんの病室を見回った。
 イズミさんは何事もなくすやすやと眠っている。発作などの異変はなにもおきていないようだ。

 そのかわり、隣の病室では突然変調をきたし、生死の境をさまよった人がいて、さっきやっと落ち着いた。
 イズミさんにも目をつけていたけれど、今朝、あんなことを言われたので隣の病室の人を選んだのだ。

 薬物でわざと変調を起こさせ、それを華麗に元に戻す。それを知らない同僚たちは、今回も私を驚異の目で見ていた。この仕事は本当に楽しい。やめられない。

終わり


 

テーマ : ショートショート
ジャンル : 小説・文学

このページのトップへ
コンテントヘッダー

コビートウェンティパート9




「で、奴はしゃべったか?」
 椅子に座ったまま、上官が聞いた。
「いえ、残念ながらまだです」
 机の前の直立不動の部下が答えた。
「依然として、自分一人でやった、と言い続けております」

「馬鹿な……」
 部下の言葉に上官はあきれた顔をした。
「お前たちはちゃんとやつを痛めつけたのか?」
 彼の疑念のこもった声に、部下は青ざめた。
「もちろんであります。定められたやり方を忠実になぞり、毎日休みなく拷問をしております。しかし、五日目の今日になっても、奴は黒幕について口を割らないのです」

「むーっ、かなりしぶとい相手というわけか。いったいどこの組織の工作員なのやら?」
 上官は首をひねり聞いた。
「身元調査はどうなってる?」
「はっ、それにつきましては依然調査継続中ですが、生物兵器研究所に提出されていた本人の身上書と、違ったところは一切見つかっておりません」
 部下は申し訳なさそうに答えた。

「奴はたった一人で、研究所からウイルスを持ち出してばらまいたと言ってるんだよな?」
 上官は少し考えた後、また、部下に尋ねた。
「どこぞに雇われていないとすれば、なぜそんなことをしたのか、何か理由を言ったか?」
 部下はかぶりを振った。
「いいえ、それにつきましても固く口を閉ざしており、自分がウイルスを漏洩させたこと以外、何もしゃべりません」

「くそーっ」
 上官は苦虫を食い潰したような顔をした。
「それじゃ何も進展なしか。何としてでも口を割らせねばな。奴に身内はいるか?」
 部下は答えた。
「奴に妻子はおりません。両親もすでに亡くなっているようです」

「天涯孤独の身か。ではそっちは無理か」
 どうやら身内を拷問にかける、と脅すことで口を割らせるつもりだったらしい。上官は落胆した。
 それを見て部下が言った。
「いえ、そうでもありません。奴には妻子も両親もおりませんが、弟が一人います」


「弟?」
 上官は聞いた。
「奴とは仲が良いのか?」
「現在のところ、特に仲が良かったとか険悪だったとかという情報はありません。ごく普通に連絡は取り合っていたようですが」
 部下が答えた。

「ふむー、試しに引っ張ってみるか。その弟やらは今どこにいる?」
 部下は顔を曇らせた。
「それが現在は外国におります」

「外国?くそっ、間の悪い。で、そいつは近々こっちに帰ってくるのか?」
 部下は一瞬返事をためらってから言った。
「それが、弟は半年ほど前から今滞在してる国で治療を受けている最中でして、リハビリやらなにやらであと数か月は帰ってこないかと」

「なんだ、そいつは病人なのか」
「はい。膝を怪我しました」

「膝の怪我?」
 上官は驚いた。
「たったそれだけのことで外国まで治療しに行ったのか?」
 当然と思える上官の疑問に部下は答えた。
「はい、奴の弟はわが国でトップクラスの成績を収めているある競技の選手でして、そのため、その手の怪我においては世界一の権威といわれている医者のいる下で治療を受けいるようなのです」

「なるほど」
 上官はそういうと黙ってしまった。部下は机の前で直立不動のままだ。
 しばし考えをめぐらせた後、彼は部下に命令した。
 
 命令を受けた部下はすぐに部屋を出て行き、数時間後、再び報告にみえた。
「ご命令通りの内容を奴にほのめかしましたところ、あっけなく吐きました」
 部下は驚きの表情を隠さなかった。

「やっぱりそうだったのか」
 上官は満足にうなずいた。
「しかし、このまま上に報告していいものやら、考え物だな」
 上官の言葉に部下が聞いた。
「何か不都合がありますでしょうか?」

「上司たちが信用するだろうか?」
「それはわかりますが、狂人の仕業ということなら、信用するのでは。実際、奴を精神科の医者に見せるべきだと思います。怪我した弟がオリンピックに出られるよう、大会の開催の延期を狙って世界中をパンデミックに落としれるなど、狂人の発想としか思えません」

「なるほどそうかもしれん。よし、狂人がしでかしたこととして処理しよう」
 上官は決心した。
「それで質問なんですが」
 部下が言った。

「なんだ?」
「さっき、奴に伝えて来いと言われた、今回のオリンピックの中止、延期ではない中止決定は本当なんでしょうか?」
「いいや、まだ決まってはいない」
 上官は答えた。
「けれど奴が簡単に信用するほど、その雰囲気は濃厚だよな。さてどうなるか。奴の弟が無事出場を果たすのか、来年が楽しみだ」

 上官はくすくす笑った。

終わり

テーマ : ショートショート
ジャンル : 小説・文学

このページのトップへ
コンテントヘッダー

コビートウェンティパート8



「殺された?」
 男が驚いて言った。
「何を馬鹿なことを。キュウは事故で死んだんだ。酒をいっぱい飲んだ上に、ハンドルを握って、高架橋から落っこちちゃってね」

 その言葉にキュウの妻は怒って言い返した。
「本当にそう思っているの?タン。あなたはキュウの昔からの友達だったんでしょう。だったら知ってるはずよ?夫はお酒を飲むことはめったになかったし、飲んだとしてもほんの一、二杯。深酒は絶対しなかったってことを。それに、運転はいつも慎重で、スピードも控えめだった。それが飲酒運転のあげく自損事故で死亡するなんて信じられる?」

 その言葉にタンはうなずいた。
「ああ、確かにキュウはわけもわからないくらい酔っぱらって、自動車事故を起こしてしまうようなやつじゃあなかったよ。けれど、人間、絶対ということはないだろう?何らかの拍子に気に入った酒が見つかって、つい飲みすぎてしまい、そこで理性が飛んでしまって運転して帰ろうとし、そして運悪くハンドル操作を誤って、橋から落ちてしまうことも、絶対ないとは言えないじゃないか」

「確かにそれはそうだけど」
 そう言いつつも、彼女は納得がいかないようだった。
 そこでタンは彼女に聞いた。
「キュウが死んで半年になる今になって、なんでそんなことを言い出したんだ?やつの死に不審な点があると思っていたなら、なぜすぐに警察なり、それこそ僕になり言わなかった?」

 タンの問いに彼女が答えた。
「突然の夫の死で私はすごく混乱して、最初は何も考えられなかった。夫の亡骸を見せられ、それはひどいありさまで、そして警察から自損事故だと説明を受けても、ああ、そうなんだ、としか思えなかった。
 でも、半年が過ぎて、夫の死後のこまごまとした手続きも終わり、やっと落ち着いて考えられるようになってみると、どうしてもあの真面目で律儀な夫が、酔って車ごと橋から転落するとは思えないの。絶対におかしい」
 俯きながら思いつめた声で妻は言った。

「それにしても」
 タンが言った。
「殺された、というのはいくらなんでも飛躍しすぎでは?キュウは医者という職業柄、患者から恨みを買うことはないとは言い切れないけど、それでも普通、殺されるほど恨まれることはそうそうないだろう?それとも何か心当たりがあるのかい?」

 タンの問いに女が答えた。
「実はひょっとしてということがひとつだけあるの」
 そう言って、タンを見つめた。
 タンは黙って女が話すのを待った。すると女は遠くを見つめるようにしてしゃべりだした。

「随分前のことだけど、夫がある患者の話を私に話してくれたことがあって。もちろん守秘義務があるのでどこの誰ということは一切言わなかったけれど、かなり珍しい症例を診た、って」
 ここで一旦女は間を置いた。今は亡き夫のことを思い出しているのであろう。それからすぐに女は話を続けた。
「その手の話は私が看護師だということもあって、夫は興味深そうな症例に会うと、よく私に話してくれていたの。それで、その時、夫が話してくれた珍しい症例というのが、味覚障害を伴う発熱だったのよ」

「えっ?」
 タンが驚いて言った。
「まさか?」
「ええ、いま世界中ではやっているコビートウェンティの特徴的な症状と一緒」

 少しの沈黙の後、タンが言った。
「じゃあ、その患者はコビートウェンティに感染していたということなんだろうな。しかし、それでなぜキュウが殺される?」

 女は答えた。
「その患者の話を聞いたのは、本当に随分前で、確か去年の9月頃のことなのよ」
「去年の9月!コビートウェンティが流行る3か月も前か!」

 タンが考え込むと、キュウの妻は言った。
「たぶん、夫が診たその患者こそがコビートウェンティの最初の感染者だったのよ。その事実を誰か、おそらく、この国の上のほうの人物が隠したくて、夫を殺したんだわ」

 女の怒気を含んだ声にタンが手で制して言った。
「いや、ちょっとまて!それは飛躍しすぎじゃないか?確かに今言われているよりずっと前から患者が確認されていたことがよその国に知れれば、我が国の防疫体制の甘さをつつかれるかもしれない。けれど、そんなことで一般市民であるキュウを亡き者にするだろうか?第一キュウ一人の口をふさいだとして、病院にはカルテとかあるわけだし、よそからだって漏れるだろう」

「夫だけじゃなく、ほかの人も口をふさがれているかもしれないわ」
 女が言った。
「なに?そんな心当たりがあるのかい?」
 タンの問いに女はかぶりを振った。
 タンはあきれ顔で女を見た。
「憶測でものをいうのは危険だ。いいかい。今の話はほかの誰にも言っちゃ駄目だ。本当だったら君も危ない。約束してくれ。
 けれど、君の話で僕もキュウの死に少し疑問が浮かんできた。だから、僕なりに調べてみる。何かわかったら必ず連絡するから」

 そうして二人は別れた。

「はい…。はい…。ええ、患者が生物兵器研究所の職員だったということを彼女は知らないようです。はあ、たぶん。他言はしてないようです。
 えっ?ええ。いや、彼女は飲酒しませんし、車の免許もないので……。はい、別の方法ですね。わかりました」
 タンは電話を切り、深くため息をついた。

終わり

テーマ : ショートショート
ジャンル : 小説・文学

このページのトップへ
このページのトップへ
プロフィール

火消茶腕

Author:火消茶腕
ジャック・リッチーの短篇集を読んで、その読みやすさに感銘を受けた火消茶腕です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR